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「ダンス」と「国境の南」の間に書かれた4編と、「ねじまき鳥」の後に書かれた2編に、「螢」に収められていた「めくらやなぎと眠る女」を短く改作したものを加えた合計7編を収載して96年にリリースされた短編集である。「ねじまき鳥」の後に書かれたのは表題作「レキシントンの幽霊」と「七番目の男」であるが、確かにそれ以前の4編と比べればそこに微妙な手触りの違いのようなものがあるような気がする。

「ねじまき鳥」以前の作品はごく大雑把に言って「恐怖」というものの本質に近づこうとする試みであるが、そこではその恐怖に囚われた人自身の救いは見出されず、深い沈黙の中に吸いこまれるようにして物語は収束して行く。しかし、「ねじまき鳥」後の2編では、同じように「恐怖」が僕たちの心の中でどんなありようを示すかが語られながらも、恐怖と無縁ではいられない僕たちがそこでどのような強さ、力を持ち得るのかということに対しての示唆がある。これは短編集でいえば「TVピープル」から「神の子供たち」に至る流れと整合的であり、長編でも「国境の南」から「ねじまき鳥」を経て「スプートニク」に至る、絶望の認識からその超克への試みとしての一連の系譜と符合するように思われる。

したがって、本作単体ではいささかシュールで救いのないように感じられる作品も多いが、その背後に隠された物語の息づかいに耳を傾け、残像のようなイメージの断片を凝視すれば、そこにはいったん冷厳たる現実認識に降り立ちながら、その場所から生きるに足る血の通った生の手がかりをつかもうとする村上のギリギリのトライアルが見えてくるはずだ。

レキシントンの幽霊

友人から古い屋敷の留守を託された作家が不思議なできごとに遭遇するという物語である。だれもいないはずの閑静な屋敷で夜中に目覚めると、大がかりなパーティーのようなざわめきが聞こえるのだ。いぶかりながら階下に降りた「僕」はふと気づく。「あれは幽霊なんだ」と。
しかしこの物語の中心的なテーマはおそらく幽霊そのものではない。むしろこの屋敷の主であり、そのような屋敷に囚われたケイシーとの交流こそがこの短編の底流にあってその生命力の源となっているモメントに他ならない。長く愛し慕った父を失って昏々と眠り続けたときのことをケイシーはこう語る。「現実の世界はむなしい仮初めの世界に過ぎなかった。それは色彩を欠いた浅薄な世界だった。(中略)つまりある種のものごとは、別のかたちをとるんだ。それは別のかたちをとらずにはいられないんだ」。
我々の存在そのものに内在する本質的な孤独についての物語だと思う。

緑色の獣

庭の土の中から這い出てきた緑色の醜い獣が主婦にプロポーズするという物語。しかし、「私」が心の中でその獣を苛むと、獣はそれを感じて悲鳴を上げ、苦しむのである。「だから私はもっとひどいことを考えてやった。(中略)命ある存在を苦しめ、のたうちまわらせる方法で、私が思いつかないことは何ひとつとしてなかった。(中略)そういう種類のことなら私にはいくらだっていくらだって思いつけるのだ」。
「獣は床の上でのたうちながら、口を動かして最後に私に向かって何かを言おうとした。何かすごく大事な、言い忘れていた古いメッセージを私に伝えようとするみたいに、重々しく」。しかし獣は「私」の責め苦に耐えかねてそのまま消えてしまう。いろんな意味合いに深読みが可能なシュールな作品だが、ここではむしろ何とも後味の悪い、救いのない読後感を読者自身が反芻し、その本質をそれぞれに考えてみればよいのではないかと思う。

沈黙

珍しく直接的な手触りのある作品であり、学校教材としてこの作品だけを収めた小冊子まで作られている由である。物語はほぼ「大沢さん」の独白で、孤独癖ゆえクラスの実力者である青木と対立し、その卑劣な罠にはまって孤立した高校時代の苦い思い出が語られる。「でも僕が本当に怖いと思うのは、青木のような人間の言いぶんを無批判に受け入れて、そのまま信じてしまう連中です。何も理解していないくせに、口当りの良い、受け入れやすい他人の意見に踊らされて集団で行動する連中です。(中略)彼らはそういう自分たちの行動がどんな結果をもたらそうと、何の責任も取りやしないんです」。ここでの怒り、憤りは意外なほどストレートだ。中学校や高校でこの作品を教材として国語の授業をするのであれば、ここがこの作品のポイントだということになるのかもしれない。
しかし、この作品の本質は少しばかり別のところにあるのだと思う。「でもね、僕は思うんです。たとえ今こうして平穏無事に生活していても、もし何かが起こったら、もし何かひどく悪意のあるものがやってきてそういうものを根こそぎひっくりかえしてしまったら、たとえ自分が幸せな家族やら良き友人やらに囲まれていたところで、この先何がどうなるからはわからないんだぞって。ある日突然、僕の言うことを、あるいはあなたの言うことを、誰一人として信じてくれなくなるかもしれないんです。そういうことは突然起こるんです」。
今まで当たり前のようにそこにあると思っていたものが、ある日突然何の前触れもなく簡単に損なわれてしまう恐怖、それこそがこの作品の核心にあるものではないか。それはオウム真理教の地下鉄テロ、阪神大震災、そして9.11の同時多発テロなどによって村上が深くコミットして行くこととなる「もはや何でも起こり得る」という感覚の予兆であり、また「ねじまき鳥」へも繋がって行く現実認識である。

氷男

スキー場のホテルで氷男と知り合い、結婚した女性の物語。ある時彼女が平穏な結婚生活の反復性に耐えかねて南極への旅行を氷男に提案したことから何かが変わり始める。氷男と共に訪れた南極は想像を超えて寂しい土地だった。言葉も通じず、帰りの飛行機もなく、生き生きと動き回る氷男とは反対に「私」はそのような土地に閉じこめられて力を失ってゆくのだ。
ここにあるのはコミュニケーションの本質的な不完全さと、それゆえ人間存在が宿命的に背負わなければならない絶対的な孤独についての物語である。「氷には未来というものはないからです。そこにはただ過去がしっかりと封じこめられているだけです。すべてのものはまるで生きているみたいに鮮明にそこに封じこめられているんです。(中略)とても清潔に、とてもくっきりと。あるがままにです」。
永遠の過去に捕らわれ、寒い国で心を失って行く「私」。「ねえ君のことを愛してるよと彼は言う。それは嘘じゃない。それはちゃんとわかる」。しかし愛されることと孤独であることとは別の問題なのである。

トニー滝谷

滝谷省三郎とその息子であるトニー滝谷の人生を描いた作品。前半部分の滝谷省三郎の大陸での半生も「ねじまき鳥」への伏線として興味深く読めるが、この短編のハイライトはそれまで孤独に育ち精緻な機械のイラストを職業にするトニー滝谷が恋に落ちてからのエピソードだろう。いや、更に言うなら彼が恋に落ち、結婚した女性が交通事故であっさりと死んでからのトニー滝谷の心の揺らぎこそがこの作品の核だと言ってよい。
トニー滝谷の感情の揺れそのものはここではほとんど語られない。しかし、妻が死んだ後、残された膨大な衣服を着てもらうためにサイズの合う女性アシスタントを募集する下りは、明らかにトニーがその事実をどう受け入れればいいのか当惑していることを示唆している。「彼は自分が今ではそんな服を憎んでいることにふと気づいた。彼は壁にもたれ、腕を組んで目を閉じた。孤独が生暖かい闇の汁のようにふたたび彼を浸した。これはもうみんな終わってしまったことなのだ、と彼は思った。もう何をしたところで、全ては終わってしまったのだ」。
淡々とした筆致で「孤独」の本質を描き出そうとした作品だ。

七番目の男

ある男が、子供の頃、台風の日に浜辺に出たために無二の親友を波にさらわれた経緯を語るという形式の物語。「私」は、高波に気づきながら親友を助けることなく自分だけが逃げ、その結果親友を死なせてしまったという思いから、その親友が自分を憎みながら死に、自分を「そちら側」に連れて行こうとしているという恐怖に苛まれ続けながら長い年月を過ごすことになったのだ。
「『私は考えるのですが、この私たちの人生で真実怖いのは、恐怖そのものではありません』、男は少しあとでそう言った。『恐怖は確かにそこにあります。(中略)しかしなによりも怖いのは、その恐怖に背中を向け、目を閉じてしまうことです。そうすることによって、私たちは自分の中にあるいちばん重要なものを、何かに譲り渡してしまうことになります』」。
自分の心の中にある恐怖が自らの目や耳をふさいでしまうことをこの物語は教えている。感触としては「沈黙」に似ている。しかし、ここには確かにそこから立ち上がって救いや癒し、赦しといったものを求めようとするひとつの意志があるように思える。

めくらやなぎと、眠る女

「螢・納屋を焼く・その他の短編」に収められていた「めくらやなぎと眠る女」を半分強の分量に改作したもの。単に文章を削っただけでなく、表現としても随所で推敲されており、当初作と比べると随分違った感触の作品となっている。具体的には表現が完結になった分、文章が引き締まり、「死」の濃い影に覆われていた原作の雰囲気が、むしろ「生」に向かう意志の物語へと転化をとげているのだ。
「僕はそれからほんの何秒かのあいだ、薄暗い奇妙な場所に立っていた。目に見えるものが存在せず、目に見えないものが存在する場所に。でもやがて目の前に現実の28番のバスが留まり、その現実の扉が開くことになる。そして僕はそこに乗り込み、どこか別の場所に向かうことになる」。原作にはなかったこの文章が最後に挿入されることでこの作品の指差すものは明確になる。そしてこの作品は95年になって、換言すれば阪神大震災や地下鉄テロを経て、こう結ばれることになるのだ。「僕はいとこの肩に手を置いた。『大丈夫だよ』と僕は言った」。



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