夏帆 The Tale of KAHO
2024年3月に早稲田大学で行われた川上未映子との合同朗読会のために書き下ろされた短編「夏帆」をベースに、続きが書き継がれ展開して長編のかたちになったもの。朗読会のために書かれた短編は本作の第一章「夏帆とモーターサイクルの男」に相当し、2024年6月に雑誌「新潮」に掲載された。その後、第二章以降も2025年5月から2026年3月にかけて順次「新潮」に掲載され、まとまった長編として出版されたものである。
村上の長編は書下ろしが中心であり、既発表の短編を書き継いで長編化した例はこれまでもあったが(「ノルウェイの森」「ねじまき鳥クロニクル」など)、事前に雑誌に連載または分載されたものを長編にまとめたのは本作が初めてである。
主人公は夏帆という26歳で絵本作家の女性(姓は与えられていない)。新潮社のアオリによれば「女性を主人公にした初の長編小説」とされており、女性を単独で全編にわたって主人公にした長編という意味では確かにそうだが、「1Q84」の半分は青豆という女性を主人公にしていたのではなかったか。短編であれば「眠り」をはじめとして「レーダーホーゼン」「緑色の獣」「氷男」「タイランド」「ハナレイ・ベイ」「バースデイ・ガール」など女性を主人公にした印象的な作品を挙げることができる。
この物語は夏帆がブラインドデートの相手から「君みたいな醜い相手は初めてだよ」と告げられるところから始まる。最近ならさしずめ「は?」と訊き返すところかもしれない。唐突で場違いで失礼な発言から夏帆の日常は少しずつ様相を変えて行く。なにかがズレ始め、奇妙な者たちが彼女の生活に静かに、あるいは暴力的に侵入してくる。ありくいの夫婦、凶悪なジャガー、シロアリの女王、そして守護天使界のジャック・ケルアック。
ふとしたきっかけで異世界のドアが開き不思議な物語に巻きこまれて行くというのは過去の作品でも繰り返されてきたモチーフである。「ねじまき鳥クロニクル」ではいなくなった飼い猫をさがして路地に入りこんだところから、「1Q84」では青豆が高速道路でタクシーを降りたところから物語が始まる。異世界は日常の隣りにぽっかりと口を広げていて、主人公たちは気づかないままその致命的な「境界線」を踏み越えてしまう。そしてそこに広がる世界は彼ら自身の心のなかとつながっているのだ。
600枚程度と村上にすれば中編と呼ぶべき比較的コンパクトな作品であり、物語はそれほど大きな展開を遂げるわけではなく、そこで扱われるテーマは注意深く絞りこまれている。それは夏帆という女性が実家を出て一人暮らしを始めるようになって相対化することのできた、保護される者から自分の足で立つ者への位相の移行、それに伴って顕在化した母と娘の関係の洗い直しと再構築である。そしてそれは、ここでは枠組みとして母と娘の関係に仮託されているが、実際には我々がどのようにして自己を規定しているナラティヴを読み解き、それをより豊かで有用な物語として再構成して行くかというテーマにつながっている。
夏帆は一匹のありくいから警告を受ける。「いいですか、あなたは武蔵境に越さなくてはなりません。それも今すぐに。そこがあなたのいるべき場所です」。中央線の三鷹の向こう、国分寺の手前。夏帆の叔父がいうような「文明の果つるところ」というほどではないにせよ、これといって何の特徴もない郊外の住宅街だ。そこで物語は動き始める。
夏帆が見つけた縁側のある小さな一軒家の床下には彼女をそこに導いたありくいの夫婦が住みついている。彼女は彼らの示唆によって武蔵境の駅前の商店街にある刃物研磨店「とぎや」の主人を殺すことになる。主人にはアリクイの夫婦の子供を食べてしまった凶悪なジャガーがとり憑いていていたのだ。彼女はその心臓をとぎやの主人が自ら鋭利に研ぎあげた包丁でひと突きにする。
「ねじまき鳥クロニクル」では主人公の岡田トオルが暗闇のなかで悪しきものをバットで撲殺するし、「海辺のカフカ」ではナカタさんがジョニー・ウォーカーをナイフで刺殺する。「騎士団長殺し」でも主人公は騎士団長の求めに応じて彼を包丁で刺し殺した。のっぴきならない状況で得体のしれないものと対峙し、自ら手を汚すことでそののっぴきならなさを超克するというモチーフもまた、村上の作品には繰り返し描かれるものだ。では、今作で夏帆が対峙した、ブラジルのジャングルからありくいの夫婦を追って武蔵境にやってきた凶悪なジャガーとは何者なのか、そして夏帆はなぜ彼を、「慈悲も偏見も予断もなく一気に」刺し殺さなければならなかったのか。
それは作中でも必ずしも明らかではない。ここでは夏帆は手を汚すために手を汚しているかのようにさえ見える。理不尽な成り行きに巻きこまれ、好むと好まざるとにかかわらず究極の選択を迫られること。そのような形で不本意にも手を汚してしまうこと。彼女にとってこれは、彼女自身が彼女のなかのなにかを先に進めるために避けることのできなかった通過儀礼としての試練なのであり、ここで手を汚したことが作品の最終盤、母親を乗っ取ったシロアリの女王との対決の重要な伏線になる。
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あるときから夏帆には母親の肌のぬくもりや匂いを思い出すことができなくなった。(略)そういう匂いや触感の記憶の集合は、人が成長する過程において重要な役割を果たすはずのものなのに、どうして母親はそれを私に与えてくれなかったのだろう?
和解する――そうすることで私は、母親をシロアリの女王の呪縛から解放するための資格を得られるのではあるまいか。(略)そうして原因と結果はようやく等価性を見いだし、私のまわりに生じた深刻な混乱は解消され、その結果私たちは境界線を逆向きに踏み越え、元の世界に帰還することができるはずだ。
私はそれまで、自分が母親から心理的圧迫を受けていることに気づきもしなかったのだ。(略)とすれば、そこには「和解」の余地なんてないかもしれない。なぜなら私たちの間にあるのは、具体的には計測しがたい曖昧な「距離感」に過ぎないのだから。
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夏帆と母親との間には、そのような微妙な距離感が常にあった。「ぴったりとした親密な関係」があるわけでもなく、かといって「痛烈な反発や緊張」があるのでもない、「薄紙が一枚はさまったような感覚」が。母親が夫のもとを去ろうとしていたときにたまたま夏帆を身ごもり、結局そのまま母親として家に留まることになったのだと、母親に取り憑いたシロアリの女王は夏帆に言う。そのことが夏帆と母親の間の微妙な距離感の原因であったことが示唆される。それは夏帆にとっては苛酷な認識だ。しかしそれは夏帆にひとつのヒントを与えてもくれる。重要なことはしばしば悪しきものから知らされるのである。
そのようにして夏帆とシロアリの女王との対決は準備されて行く。夏帆が所与としてきたナラティヴがあらためて仔細に検討される。物語が語り直されようとしている。夏帆はありくいの奥さんに問う。
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「うまく理解できないのですが、シロアリの女王はなぜそこまでして、私に取り憑かなくてはならないのですか? この私に取り憑くことは、そのシロアリの女王にとっていったいどんな意味があるのかしら?」
「はい、なぜならば、これはあなた自身の世界の物語であるからです」とありくいの奥さんは言った。「ですからあなたが必然的にその世界の中心になります。そして善なるものも悪しきものも、善でも悪でもないものも、等しくあなたのもとに押し寄せてきます。(略)あなたがそれらのものを引き寄せるのです。そしてあなたは押し寄せてくるそれらのものたちの中から、あるものは進んで受け入れ、あるものはきっぱり排除しなくてはなりません。それは中心人物であるあなたが引き受けなくてはならない責務なのです――諾か非かを判別し、それを善き物語へと導いていくこと、それがあなたの役割になります。」
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世界はすでに変容してしまった。彼女は母親に取り憑いたシロアリの女王との対峙を否応なく強いられることになる。それが彼女の通過儀礼を終わらせる唯一の方法だからだ。なぜならこれは「彼女自身の世界の物語」であるからだ。夏帆は母親の身体を乗っ取ったシロアリの女王に問う。
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「ふと思ったことなんだけど、シロアリの女王さん、ひょっとしてあなたはずっと昔からそこに住まっていたのかしら?」
「そこって、どこのこと?」
「私のお母さんの中に」
母親でもあるシロアリの女王は、それを聞いてにっこりと微笑んだ。そして数秒間を置いてから言った。「そうね、あるいはそういう視点もあるかもしれない。ちょうど、ありくいたちが昔からいつもあなたの中に住まっていた、というのと同じようにね」
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夏帆は浦和の実家で母親の身体を乗っ取ったシロアリの女王と対決する。夏帆の意図に気づいたシロアリの女王が母親の身体を借りて夏帆を絞殺しようとしたとき、夏帆は思わず「お願い、お母さん、助けて」と叫び、母親は身中の力をふりしぼってシロアリの女王の企てを阻止する。その夏帆と母親との非常時におけるギリギリの対話が、二人のあいだにあったナラティヴの行き違いを一気に組み替えたのだ。そこにおいて「和解」はなされたのではなかったか。
シロアリの女王の先制攻撃を母親の力を借りて斥けた夏帆は、いよいよシロアリの女王を排除しようとする。しかしそれは困難な闘いだ。そのためには、とぎやの主人がこしらえてくれた特別な刃物を母親の心臓に突き立てなければならない。それは象徴的な殺人だ。「さあ、だから早く、その刃物で私の心臓を刺し貫くのよ」と母親は言うのだ。しかし夏帆は、彼女の書いた絵本から抜け出したスカーレット・ヨハンソンという猫に導かれなんとかその事業をやり遂げる。
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なぜならば、このスカーレット・ヨハンソンという名の猫は、私がこしらえたものだからだ。私がこの猫に従うというのはつまり、私が私自身の内声に従っているということなのだ。だからこそ私はこの猫に進んで身を任せることができるはずだ。
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すべては夏帆の内なる世界でのできごとである。しかし変容を遂げた世界では彼女の内なる世界は外の世界と連絡し、現実のできごととして目の前にありくいやジャガーやシロアリの女王が現れる。彼女を支配してきたナラティヴが可視化された世界で、彼女は彼女自身のさまざまな内声を聴くのだ。対象化されたナラティヴと対峙し、そののっぴきならなさに呻吟しながらも、彼女はそれを理解し、今まで敢えて意識化してこなかった認識と突き合わせ、自らにとって生きるべき、生きるに値するものへと組み替えようとするのだ。そしてそのために彼女はそこに鋭利な刃物を突き立てる。そこに現実の血は流れない。しかしそこではなにかが死に、そして同時になにかが生まれるのは確実であるように思われる。「それによってあなたはあなた自身の心の檻から解放できる」とありくいの奥さんは言う。
この物語をサポートして行くのは彼女が自身に起こることと並行して書きつづる絵本である。最初はありくいの夫婦の物語として、そして母親との対決の局面では新たに書かれた少女ミソラの冒険譚として。その物語は夏帆の物語の写像であると同時に、一方で夏帆の物語に重要な示唆を与える。子供たちに語るために与えられたいくつかの制約(中間的なものは許されない、主人公は最後には救われなければならない)は夏帆自身の物語をドライブするガイドになる。フィードバックのらせんの中で、夏帆は自分の内声に耳を傾けて行く。物語の重層性、相互作用がそこにある。夏帆自身のナラティヴもまたそのなかに位置を占めている。
ここでひとつよくわからないのは、夏帆がいつ、どうやって境界線を踏み越えたかということだ。作品がブラインドデートの相手からひどい言葉を投げかけられたところから始まることからすれば、このできごとがすべてのトリガーであるようにも思われる。しかし、そのブラインドデートの相手(のちに夏帆の守護天使であることが明かされる)は「君は境界線を踏み越えるべきではなかった」と言い、自分はそのことを警告するために夏帆の前に姿を現してありくいの奥さんと引き合わせたのだと主張する。だとすれば、この作品が始まる前に、夏帆はすでになんらかの形で境界線を踏み越えていたのだということになる。しかしそれがいつ、どういう形で行われたのかはこの作品のなかでは明かされない。
そのことは、この守護天使(守護天使界のジャック・ケルアック)の位置づけにもいえる。第一章から第三章までは夏帆に近づく不気味で不可解な存在として描かれ、その接近(BMWの大型モーターサイクルのエンジン音の響き)が一貫して不吉な象徴とされていたことからすると、第四章にいたって「実は守護天使でした」といわれてもにわかにああそうですかとは納得しがたい。この二点はおそらくは、この作品が当初短編として書かれ、それが書き継がれるなかで物語の構造が少しずつ変化して行った結果なのではないかとも思われるが、やや便宜的な感は払拭できない。
夏帆は浦和の実家を出て一人暮らしを始めることで初めて母親との関係のいびつさに気づくことができた。だとすればそのときにすでに境界線は踏み越えられていたのではないか。そしてそれは――守護天使の説明とは異なるが――いずれ一度は踏み越えられなければならない境界線だったのかもしれない。なぜならそれは夏帆にとって善き物語ではなかったから。彼女にとってありくいのいる世界に迷いこむことは、母親との距離感のありようを、自分自身の主体的な物語として位置づけ直すために、善き物語として語り直すために必要だったのだ。夏帆がアクシデンタルに境界線を踏み越えたというよりは、そのような自己との出会いの過程のひとつとしての越境が必要だったと考えたほうがこの作品は豊かな読後感を与えてくれるように思う。
母と娘の関係を媒介に自らの心のなかを旅する物語として示唆的であり、ナラティヴの重要性が増す一方でそれに向き合う機会が少しずつ失われて行く世界にあって、村上が敢えて平易な語り口で、彼らしい諧謔を交えてそれを我々の日常に着地させようとした作品だと言っていいのではないだろうか。
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