logo ねじまき鳥クロニクル 第3部


「ねじまき鳥クロニクル」の「第1部 泥棒かささぎ編」、「第2部 予言する鳥編」を受けて展開される「第3部 鳥刺し男編」である。第1・2部から1年遅れて刊行された。この作品を第1・2部と分けてレビューする意図については第1・2部のレビューを参照して欲しい。

さて、この作品はそれ自体が「ノルウェイの森」にも匹敵するほどの分量を持つ長編である。そしてその「語り」や手ざわりからして第1・2部とかなり異なっている。一人称である「僕」の語りはもちろん全編の中心となっているが、全部で41ある章立てのうち「僕」の一人称で語られるのは23に過ぎず、残りは笠原メイや間宮中尉やクミコの手紙、赤坂ナツメグとシナモン親子のエピソード、週刊誌の記事などで構成されている。

物語の中に物語が入れ子になって全体として重層的な小説世界が形成されるという構造は第1・2部と同じように見えるが、僕はここではそれがいささか技巧的、説明的に流れている感を払拭することができない。特に週刊誌の記事の引用の体裁を取っている3つの章はその記事としての迫真性が欠けていることもあっていかにも浅薄に見えてしまうし、それは別としても、この第3部では村上が読者に過不足なく「解決」を提示しようとするあまり「答え」を急ぎ過ぎているような印象を僕は受ける。

ただ、この第3部では、第1・2部からの基本的なテーマ、モチーフが引き継がれながらもそれがある意味で深化しているのもまた確かなことである。第1・2部での主要なテーマが、自らの内なる闇やそれに連なる性的で暴力的な世界との対峙であったとするなら、第3部では「僕」がその闇の世界と渡り合い、そこから自分の大切なものを救い出し、取り戻す具体的で現実的な物語へと小説世界の基本構造がシフトしているからだ。

しかしそれは一つ間違えると、物語全体を、僕が第2・3部のレビューで強く否定した「『善なる岡田トオル(「僕」)』と『悪なる綿谷ノボル』の単純な二項対立による勧善懲悪の物語」に還元してしまう危険性を孕んでいる。

「つまりね、今回の一連の出来事はひどく込み入っていて、いろんな人物が登場して、不思議なことが次から次へと起こって、頭から順番に考えていくとわけがわからない。でも少し離れて遠くから見れば、話の筋ははっきりしている。それは君(クミコ、筆者註)が僕の側の世界から、綿谷ノボルの側の世界に移ったということだ。大事なのはそのシフトなんだ」

ここでは明らかに「僕」の側と綿谷ノボルの側というふたつの異なる世界が対置されており、その間の綱引きがこの物語の主題になっているようにも読める。そして「僕」はそれを綿谷家の呪われた血筋のせいにしようとしている。「綿谷家の血筋にはある種の傾向が遺伝的にあった」と「僕」は言う。「彼(綿谷ノボル、筆者註)の引きずり出すものは暴力と血に宿命的にまみれている。そしてそれは歴史の奥にあるいちばん深い暗闇にまでまっすぐ結びついている。それは多くの人々を結果的に損ない、失わせるものだ」と。

だが、ここでは他ならぬ「僕」自身もその「深い暗闇」に連なっているということが捨象されてしまっている。本当は「僕」も、ナツメグやシナモンも、間宮中尉も、この世界のおよそあらゆる人がその「深い暗闇」と繋がる自分自身の暗闇を持っている。綿谷ノボルはそれを極端な形で代表し、その暗闇を利用しているのであり、そこには綿谷家の遺伝的な血筋の問題も関わっているのかもしれないが、この物語が示唆する性的で暴力的な世界の存在を、そうした「特殊なもの」の範疇に矮小化してしまうことは小説的な構造として極めてうまくないと僕は思う。

僕が重視したいのは物語の終盤、「僕」が208号室で姿の見えない敵とバットを振るって戦うシーンだ。ここで僕が戦っているものが、「歴史の奥にあるいちばん深い暗闇」と結びついた血なまぐさい「何か」であることは疑いがない。そして一見、「鳥刺し男」である「僕」が、「夜の国」の生き物であるそれを「退治」しているようにも思われる。しかし、それを「退治」するために僕がしたことはバットでその相手を殴って昏倒させ、床に倒れた相手の頭を叩き割ってとどめを刺すことだった。それはシナモンがエピソード「ねじまき鳥クロニクル#8」の中で示唆したとおり、「僕」が「綿谷ノボルの側」に見た暴力的で血なまぐさい行為に他ならなかった。

「僕」が使ったバットは、第2部の終わりに「僕」とその暴力的な世界の邂逅を仲介したオーガナイザーから「引き継いだもの」であり、それを使って自らの手を汚すことでしか「僕」はクミコを取り戻すことができなかったのだ。「ツイン・ピークス」の終わりでデイル・クーパーが自らボブを宿して戻ってくるように、「僕」はその呪いを引き受け、その闇の中央に降り立つことでこそクミコの呪いを解いたのだと考えることができるだろう。

たたきのめした相手を懐中電灯で確認しようとする「僕」を、クミコは必死に押しとどめる。「それを見ちゃいけない」、「私を連れて帰りたいのなら、見ないで!」と彼女は叫ぶ。そう、そこに横たわっているものは「綿谷家の秘密」であると同時に「僕」の一部でもあり、おそらくは僕たちがだれでも抱えていながら目にすることのできないもの、目にしてはならないなのだ。

僕たちの世界のすぐ隣りに、想像もつかないようなグロテスクで血に汚れた異形の世界が横たわっている。それは僕たち自身をそこに含んでいて、何かの加減で僕たちの世界に侵入してくるのだ。その扉が開くとき、ねじまき鳥が世界のねじを巻くような声で鳴く。やや冗長に流れた感があり、またあまりに説明的ではあるが、そうした世界の存在を示唆するハードエッジな文学作品であることは間違いがない。



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