ねじまき鳥クロニクル 第1部・第2部 複雑な構造を持った長編小説であり、「第1部 泥棒かささぎ編」、「第2部 予言する鳥編」そして「第3部 鳥刺し男編」の3部からなる。姿を消した妻のクミコを「僕」が探す、というのが中心的な物語だが、その物語は多くのサブ・ストーリーを含む重層的な構造になっていて、そのそれぞれが互いに関係し合う複雑な小説世界を構成している。 しかしここで注意しておきたいのは、全3部のうち最初に刊行されたのは第1部と第2部だけで、その際には第3部以降が存在するのかどうかということは一切明らかにされなかったということだ。実際にはその1年後になって第3部が刊行される訳であり、文庫本では第2部の終わりに「第3部 鳥刺し男編につづく」と明確に記載されているが、単行本の刊行当初にはもちろんそのような記載はなく、したがって読者はまず取りあえず独立した物語として第1部、第2部だけを読むしかなかったのである。 実際にも第1・2部と第3部では登場人物の大半が入れ替わり、小説としての手触りもかなり異なっている。構造的にも第1・2部が「事件編」であるとすれば第3部は「解決編」である。もちろん物語そのものは完全に連続しており一つの作品として全3部を通読してもおかしくはないのだが、ここでは上記のような作品の発表経緯も考え合わせ、第1・2部と第3部を便宜上分割してレビューすることにしたいと思う。 さて、この小説は、第1部、第2部だけでも1200枚を超す長編であるにもかかわらず、驚くべきことに物語的な展開はほとんどない。先にも書いたように物語の最初の方で「僕」を置いて家を出て行った妻のクミコを探す、というのが唯一のストーリーらしいストーリーだ。むしろこの小説の本質は「僕」がクミコを探す中で出会う奇妙な登場人物たちと彼らが語るエピソードの方にこそあると言っていい。行方不明になった猫、電話をかけてくる謎の女、満月や日蝕に影響される馬の挿話、加納マルタ、加納クレタ、笠原メイ、本田さん、間宮中尉とノモンハンの挿話、涸れた井戸、綿谷ノボル、駅前のクリーニング店、クミコの妊娠中絶、「僕」が札幌のバーで見たフォーク歌手、クラゲ、208号室…。 示唆的なエピソードが次から次へと提示され、僕たちはそのひとつひとつを読み解く暇も与えられないまま、そうした謎が互いに絡み合って作り出す小説的小宇宙の中を彷徨うことを余儀なくされるのだ。そして提示された多くの謎や疑問は第2部が終わっても解決されないまま置き去りにされる。そういう意味ではこの小説はあらかじめ第3部の存在を自ら要請していたということもできるだろう。確かに第3部が発表されたことでこの作品は収まりのよいものになったし、僕もまた当時第3部以降の発表によってこの中途半端な読後感を何とか救って欲しいと感じた一人だった。 だが、それにもかかわらず、実際に第3部が発表されたときそれは僕には非常に意外であった。むしろ第3部は書かれない方がよかったのかもしれないとすら思った。いうまでもないことだが小説的世界にあってはすべての謎に答えが存在する必要はない。第1・2部では個々のエピソードの多くが収拾しないまま放り出されてはいたが、そこには確かにそうしたエピソードの重層的な集積が指し示す小説的な「答え」があったし、それこそがこの小説の「意味」なのだと僕は思った。ミステリー的な「答え」を知りたいという欲求はあってもよいが、この作品が小説的な「答え」を十分に提示している以上、そのような種明かしは必ずしもなされなくてもよいものだと僕は思っていたのだ。 では、ここで、収拾しないまま放り出されたエピソードの重層的な集積が指し示す小説的な「答え」とは何だろう。 それは自分の中にある未知なる自分の存在だ。誠実であり善良であると信じている自分自身の中に、自分でも気づかない邪悪でグロテスクで残酷で動物的な、暴力的で性的で血なまぐさい別の自分、別の存在の領域があるのだ。 「そのぱっくりとふたつに裂けた自分の肉の中から、私がこれまでに見たことも触れたこともなかった何かが、かきわけるようにして抜け出してくるのを私は感じたのです。その大きさはよくわかりません。でもそれはまるで生まれたての赤ん坊のようにぬるぬるしたものでした。それが何であるのか、私にはまったく見当もつきませんでした。それはもともと私の中にあるものでありながら、私の知らないものなのです」(加納クレタの告白) 「暗闇の中でひとりでじっとしているとね、私の中にある何かが私の中で膨らんでいくのがわかったわ。鉢植えの中の樹木の根がどんどん成長していって、最後にその鉢を割ってしまうみたいに、その何かが私のからだの中でどこまでも大きくなって最後には私そのものをばりばりと破っちゃうんじゃないかっていうような感じがしたのよ。太陽の下では私のからだの中にちゃんと収まっていたものが、その暗闇の中では特別な養分を吸い込んだみたいに、おそろしい速さで成長しはじめるのよ」(笠原メイの告白) 「そのような特殊な状況下にあって、私の意識はきわめて濃密に凝縮されており、そしてそこに一瞬強烈な光が射し込むことによって、私は自らの意識の中核のような場所に真っ直ぐに下りていけたのではないでしょうか。とにかく、私はそこにあるものの姿を見たのです。私のまわりは強烈な光で覆われます。私は光の洪水のまっただなかにいます。私の目は何を見ることもできません。私はただ光にすっぽりと包まれているのです。でもそこには何かが見えます。一時的な盲目の中で、何かがその形を作ろうとしています。それは何かです。それは生命を持った何かです」(間宮中尉の手紙) 「私とあなたのあいだには、そもそもの最初から何かとても親密で微妙なものがありました。でもそれももう今は失われてしまいました。その神話のような機械のかみ合わせは既に損なわれてしまったのです。私がそれを損なってしまったのです。正確に言えば、私にそれを失わせる何かがそこにあったのです。(中略)私はそれが正確に何であるのかを知りたいと思います。私はそれをどうしても知らなくてはならないと思うのです。そしてその根のようなものを探って、それを処断し、罰しなくてはならないと思うのです」(クミコの手紙) この小説は、ある日ふと何かの「流れが変わる」ことで、そうした自分の内にある未知の自分、自分自身の闇のようなものが、当たり前だと思っていた平和な生活を浸食し、時には理不尽なまでに暴力的に損なって行くことを示唆している。それは僕たちのすぐ隣にあってひそかに息づいているのだ。「僕」は次第にそのような世界に巻き込まれ、飲み込まれて行く。そして最後には「僕」自身も自分の中に潜む未知の自分と出会うことになる。札幌のバーで見た男は「僕」のダークサイドへの扉を開くオーガナイザーだったのだ。 「僕はこれまでに殴り合いの喧嘩なんて一度もやったことがなかった。思い切り人を殴ったこともなかった。でもどういうわけか、もうやめることができなくなってしまっていた。もうやめなくちゃいけないんだ、と僕は頭の中で考えていた。(中略)でもやめられなかった。自分がふたつに分裂してしまっていることがわかった。こっちの僕にはあっちの僕を止めることはできなくなってしまっているのだ。僕は激しい寒けを感じた」 物語の終盤でそのような未知の自分との邂逅を果たしたあと、しかし「僕」はより物事の本質に近づいたように思える。自分自身の闇はたとえそれが邪悪でグロテスクで残酷で動物的なものではあっても結局は自分の一部であり、そのようなものと出会うことで僕たちはより自分自身の実像に近づくことができるのだろう。その結果「僕」はようやく自分を求めて呼ぶだれかの声にならない声、言葉にならない言葉の微かな響きを聞くことになるのだ。そう、この物語は確実にそこでひとつの明快な終わりを告げている。僕が第3部は必ずしも必要でないと感じたのはまさにそうした理由からだった。 ここで重要なのは綿谷ノボルの存在だ。綿谷ノボルは加納クレタの中から「何か」を引きずり出した張本人であり、クミコの出奔とも何らかの関係を持っている。そして「僕」は綿谷ノボルのことを「憎んでいる」。だが、この小説はもちろん「善なる岡田トオル(「僕」)」と「悪なる綿谷ノボル」の単純な二項対立による勧善懲悪の物語などではない。むしろ「僕」と綿谷ノボルは同一のもの、一つのコインの表と裏であり、だからこそ「僕」は他の人が気づかない綿谷ノボルの「仮面」の奥の本質を見ることができるのだ。 そしてまた、だからこそ綿谷ノボルも「僕」を激しく憎んでいる。「僕」は綿谷ノボルを含み、綿谷ノボルは「僕」を含んでいる。「僕」の中の闇は綿谷ノボルの闇と通じており呼応している。インナースペースとアウタースペースが究極的には同じものであるように、無限大と無限小が本質的には同じものであるように。それらはすべて同じ暴力的で性的なものの「現れ」に過ぎないのだ。綿谷ノボルの存在はこの物語にあって「僕」自身ですら気づかずにいる「僕」の中の領域を示唆しているし、それが根差しているもののある意味での普遍性をも象徴しているのだと僕は思う。 物語の最後、「僕」はそこに残された「何か温かく美しく貴重なもの」のために新しい戦いを組織することを決心する。自分の内に未知なる闇を抱えながら、そしてその力に戦きながら、それでもそこに待つべきもの、探し求めるべきものがある限りは。 このような認識をベースに第3部を読めば、それが第1・2部とは別の独立した物語として読まれるべきものであることがわかるだろう。それは第1・2部を本編とする続編であり、後日譚だ。難解であり複雑ではあるが、端的に言い切ってしまえばここにあるのは僕たちが本質的、不可避的に抱える自分自身の闇、それが繋がる世界の闇との対峙の物語に他ならないのである。
2004 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |