光−The Light 2001年9月11日、2機の旅客機がニューヨークの世界貿易センタービルに激突し、ツインタワーとして知られた2棟のビルが崩壊した。この惨事はもちろん政治・経済に大きな影響を与えた訳だが、全世界に同時生中継されたあの映像が最も深く揺さぶったのは、結局のところ僕たちの精神に他ならなかったのではないかと僕は思う。 旅客機がビルに激突するあの映像が僕たちに教えていたことは、僕たちがそこにあって当たり前だと思っている当たり前の生活が実際には極めて脆く危なっかしい基盤の上に乗ったかりそめのものに過ぎないということ、その基盤はだれかの悪意によって今この瞬間にでもあっけなく崩れ去ってしまうかもしれないということ、そしてもはやどんなことでも実際に起こり得るのだということだった。 時事問題にロックが反応するのは難しい。時事問題を歌うこと自体が難しいのではない、そういう直接性の高い対象との距離を計ることが難しいのだ。インパクトの強い事件ほど往々にして古びてしまうのも早い。対象との距離が曖昧なまま作られた安易なプロテスト・ソングやポリティカル・ソングは、初めできごとそのものの圧倒的な存在感に凌駕されてしまうだろうし、時間の経過とともにたやすくその意味を失って行くだろう。 それでもアーティストがそのようなできごとに対して表現するべきものがあるとすれば、それは空疎なスローガンや薄っぺらな正義感ではないはずだ。僕たちは何かに賛成だとか反対だとか、そんな演説のような歌を聴きたい訳ではない。そこで歌われるべきなのは、そのできごとが一人一人の心の中に焼きつけた痛みや傷のことでしかあり得ない。音楽は本質的に個人的な体験なのである。 佐野元春が「光−The Light」を発表したのは事件の数日後だった。インターネットで公開され、だれでも無料でダウンロードすることができた。これは売り物ではないから、と佐野はコメントしていた。
佐野自身が言うように、それは「嘆きの歌」だった。なぜ僕たちはこんなふうにしか生きられないのだろうという、僕たち自身への問いかけの歌だった。佐野はだれかを指さしたり声高に批判したりするのではなく、ただそんな世界に住む僕たちの痛みを静かに拾い上げて見せたのだ。この歌が僕たちの心を打つとすれば、それはこの歌が党派的なステートメントではなく、ごく個人的な「思い」から直接に立ち上がったという点で、僕たちがあの映像から受けたショックと本質的に同じ場所にあるからだろう。 そう、正邪の問題でも善悪の問題でもなく、ただ、「これは何なんだ」、「何が起こっているんだ」という、あのときの、頼りにしていたものが音を立てて崩れて行くような嘘寒い思いこそが共有されるべきものであり、そうしたすぐれて個人的な心の震えをすくい取ることが音楽の、ロックの役割だ。そしてそのような営みをこそ、僕は政治的だと言いたい。 2001 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |