logo 情けない週末


僕たちは佐野の何に憧れていたのだろう。佐野の歌う「街」はいったいどこにあったのだろう。

僕たちの周りにあったのは、まったくさえない、垢抜けない「日常」だった。パーキング・メーター、ウイスキー、地下鉄の壁、Jazz men、落書き、共同墓地、そんなものは田舎の高校生の毎日とは何の関係もない、ただの言葉に過ぎなかったはずだ。そう、佐野元春が歌うまでは。

死んでる噴水、酒場、カナリヤの歌、サイレン、ビルディング、ガソリンのにおい、もちろんそれらのひとつひとつは何ということのないありふれたアイテムに過ぎない。だが、ひとたび佐野元春が歌い始めると、それらはまるで映画のシーンのように生き生きと輝き始める。それらは僕たちがまだ知らない、しかしどこかに必ずあるはずの「街」の片隅で、僕たちのための舞台装置として密かに息づいていたのだ。

僕たちはそこに行きたいと願った。幸せな夢から覚めた瞬間、もう一度その続きを見たいと願うように、僕たちは佐野の歌を聴くときだけその街の住人になり、そこでもう一つの生を生きた、大げさに言えば。そして、何度も何度も、繰り返し佐野のレコードを聴いた。それはリアルな夢だった。僕たちは、その、実際には一度も訪れたことのない「街」で、歌い、叫び、恋をし、そして絶望した。それはリアルな感情だった。

佐野元春はそこで「〈生活〉といううすのろを乗り越えて」と歌っていた。僕たちはその「街」にいる間だけ、僕たちのさえない日常のことを忘れることができた。僕たちの目に映る、あまりにドメスティックな「生活」といううすのろのことを僕たちは見ずにすんだ。そうして僕たちは、そいつのことを「乗り越えた」と思っていた。

だが、そいつはタフだった、実に。その「生活」といううすのろから逃れることは結局できなかった。そいつはしぶとく僕たちを待ち続け、僕たちが長い長い夢から覚めたとき、嬉しそうな顔をしてそこに現れた。そいつがまるで僕たちの切り離せない一部ででもあるかのように。

僕たちは夢の世界で生き続けることはできない。そんな当たり前のことを僕たちは学ばなければならなかった。いくらそれがリアルな夢でも、僕たちは僕たちの足が触れるこの地面の上以外の場所では生きることなどできない。ロマンチックな夢を見ようとする者は、同じだけのタフさで現実を生き抜かなければならない。そうやって友達はみんな我に還り、手を振ってどこかへ行ってしまった。そして僕は一人で生きることからもう一度始めなければならなかった。

「〈生活〉といううすのろ」を乗り越えるということは、そこから目をそらして夢の中で生きるということではない。どうしようもない日常の中で悪戦苦闘しながら、そのわずらわしさのひとつひとつを自分の手でマネージして行くことだ。そういう毎日の中でこそ、「もう他人同志じゃない」と思うことのできるだれかと暮らして行くことの意味があるのだと僕は思っている。

佐野の歌う「街」はどこにもなかった。ロンドンにも、パリにも、ベルリンにも、そこにはそこで生きる人たちの「生活」だけがあった。佐野の歌う「街」は、おそらくすべての街の背後にあって、僕たちの日常をキックし続けているのかもしれない。



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