logo サイケ、あるいは「システム」としての佐野元春/水野 鉱


この作品には二つの側面がある。ひとつは、いうまでもなくサブタイトルとして付された「The 20th Anniversary Edition's 2nd」としての面、佐野元春20年のキャリア総括するためのアルバムのうちの一枚という面である。先にリリースされた「The 20th Anniversary Edition」に収められていた曲が、「アンジェリーナ」「Someday」「ヤング・ブラッズ」「約束の橋」といった、いい意味でも悪い意味でも佐野のキャリア中「これははずせない」というメジャーなナンバーばかりだったとすれば、ここに収められているのは、あまり表舞台には出ないが、佐野の表現の歴史上重要な曲ばかり。そういう意味からは「The 20th Anniversary Edition」を補完するための一枚、バランサー的性格を持つ一枚だといえる。

いずれにせよ、これはコンピレーション・アルバムである。そうである以上、既発表曲をただ単に集めてアルバムにする…それだけでは、いやらしい言い方だが「売れない」。そのためにコンピレーション・アルバムでは常套手段としてよく使う「未発表ナンバーの収録」―このアルバムではハートランド時代に録音されたがお蔵入りになっていた3曲、すなわち「ディズニー・ピープル」「ブッダ」、シークレット・トラックの「モスキート・インタールード」―というカードも切られている。加えて、ボニー・ピンクとのデュエット・ヴァージョンの「石と卵」、「サンチャイルドは僕の友達」のオーケストラ・フィーチャード・ヴァージョン、そのあたりが下世話な言い方をすれば「目玉」、「売り」になるのだろう。これら楽曲の質は高く、単純にこれらの曲を聴くためだけでも、購入する動機に十分なり得ている。

もうひとつの面に目を向けてみよう。確かにコンピレーション・アルバムではあるが、この作品には「G*R*A*S*S」とメインタイトルが与えられている。佐野は過去にも「No Damage」において、単なるベスト・アルバム、単なるコンピレーション・アルバムに終わらせず、作品に何らかのテーマ、付加価値を持たせるという試みに成功している。このアルバムにも、当然佐野のそうした意図が表れていると考えるのが自然だ。

では、佐野がこのアルバムに持たせたテーマとは何か。「君が訪れる日」「君を失いそうさ」オーケストレーションをバックにした「サンチャイルドは僕の友達」…これらの曲に共通しているのはビートルズに代表されるような60年代サイケデリック・フレイヴァーで、「サイケデリック=サイケ」というキーワードが見えてくる。となればタイトルも「GRASS→草→マリファナ」という具合にすんなり落ちてくる。ジャケットの「草男」など、見るからに「トリップ」しているようだ。サイケという視点からこの作品を眺めてみたとき、上記の3曲などは比較的「分かりやすく」、ややあからさまにサイケしている(逆回転テープ、メロトロン…)が、それ以外の曲は、一聴したところサイケとは関係ないように思える。しかし。心持ちドラムのハイハットとスネアの音をくっきりさせる、あるいは低音から高音へ立ち上がってくる特徴的なベースラインの強調など、多くの曲に「サイケ」というテーマに沿うようなリ・ミックス作業が施されているように感じる。もうひとつ、通して聴いてなぜか耳に残るのはアコースティック・ギターの音。いくつかの曲においてストロークでかき鳴らされるフォーキーなギターの音が、不思議とサイケデリックな雰囲気を醸し出しているように感じた。

とはいえ、サイケというキーワードでこのアルバムの曲全部をくくってしまうのは、やや強引という感じがしないでもない(もちろんそれは、佐野がサイケをこの作品のテーマに据えていたと仮定しての話だが)。前述の「ディズニー・ピープル」「ブッダ」の2曲は比較的シンプルなロックンロールで、未発表楽曲としての価値は高いにしても「サイケ」というコンセプトからは、かなり外れてしまっている。総合的に見ても、どうも統一感に欠けるという嫌いはある。

考えてみるとサイケというテーマは、あまり佐野「らしくない」。「GRASS=ハッパ」などという要素は、佐野のクリーンなパブリック・イメージからすると、かなり「とんでもない」ことだ。しかし。「清廉潔白」で、「イノセント」なだけの佐野元春像など、ファンやプレスが勝手に作り上げた単なるイメージなのかもしれない。彼はもっと「はずれ」たり、ファンを「裏切ったり」してもいいかもしれない。このタイトルに込められているのも、「おれは君らが思っているほどクリーンな人間ではないんだよ」という佐野からのメッセージなのかもしれない。もちろん、我々ファンの誰一人としてクリーンでない以上、佐野一人に人柱的に「クリーンであること、イノセントであること」を押しつけるのは間違っている。佐野はもっと言えばいいのだ、「おれ一人にイノセンスを押しつけるな」と。そう思う。

だが、この作品に収められた曲、すなわち佐野の20年に渡るアーティスト活動の成果の一側面を見渡してみる時、それら楽曲の中からどうしようもなく立ち上がってくるのは、やはりファンが慣れ親しんだ「誠実」で「温かい」佐野元春のようだ。特に、「風の中の友達」が収録されている点にそれを感じる。それは、ファンから「押しつけられてる」イノセンスの期待を、そうと分かってはいても引き受けずにはおれない佐野のきまじめさ、人間的な温かさを物語っているといえる。やはり我々はこういう佐野元春が好きなのだ。今回アルバムのテーマに「サイケ」というヒップで「はみだした」テーマを据えたことが、逆に「期待通りの」佐野元春像を際だたせる結果となった感がある。あるいはこういう言い方ができるかもしれない、「佐野元春」というシステムがそれほど強固なのだと。


水野 鉱(みずの・こう) 35歳。今ではCDを買うことも稀な「不良ファン」。Macとお酒とカップ麺が大好き。その結果として生じた腹部の贅肉対策として、「贅肉撲滅運動」(ジョギング)を展開中。メールはko.mizuno@gmail.comまで。



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