logo アルバム『GRASS』に寄せる個的な想い/中山 元


「佐野元春」を聴き続ける理由。聴き続ける者だけが味わえる密かな愉しみ。そのひとつが佐野の作品に秘められた"謎解き"行為や、楽曲を聴いて様々な"イメージトリップ"をすることかもしれない。『ElectricGarden』みたいなモロ謎解き作品にドップリ浸かったり、アルバムジャケットに隠されたメッセージや歌詞の裏の意味を想像してみたり、過去の楽曲のフレーズや主人公に数年後の新曲で再会して喜んだり・・・ある種いやらしく、しょーもない楽しみ方かもしれないが、僕の場合「THE BEATLES」を通して身についたクセだから許してもらおうか。そういう意味ではアルバム『GRASS』はそんな好奇心を格別掻き立てられる興味深いアルバムだといっていいかもしれない。しかもオリジナルレコーディングアルバムでないにも関わらずだ。想像するに佐野本人も先にリリースされた『The 20th Anniversary Edition』よりも今回の選曲・編集の方に格段力が入っていたように思われる。本アルバムは勿論ベストアルバム、グレイテストヒッツ集などではなく、あるテーマに沿って抽出された楽曲で構成された、非常に純度の高い濃密なコンセプトアルバムである。全編同じトーンでまとまりながらも、楽曲はバラエティ豊か。様々な風景を思い浮かべ、心象トリップを繰り返しながらアルバムラストまで辿り着く。では一体このアルバムに流れるコンセプト、テーマとは何なのか。少し遠回りするかもしれないがジャケットの周辺から少しイメージを膨らませてみようか。先ずはアートワークとしてのジャケット。ドローイングされた人物は何を意味するのだろう?ここには3人の"男=GRASS MAN"が描かれている。1人は全身ブルー。顔だけが赤く塗りつぶされて無表情。両腕も垂れ下がったまま(喪失、失望)。1人は全身赤。一見ファイティングポーズを取り、身構えている状態(怒り、攻撃)。1人は全身落ち着いたグリーン。穏やかな表情・眼光が読み取れ、腕を大きく広げた様子がオープンマインドを感じる(寛容、許容)。これらの男は実は同一人物であり、楽曲の主人公であり、また佐野本人の象徴でもあろう(アートディレクター・吉田康一氏は『ElectricGarden』に参画していた吉田康一と同一人物?)。またインナースリーブには2枚の佐野のポートレイトが。1枚は81年『HeartBeat』プロモ写真であり、もう1枚は2000年の佐野。その2枚共、HIRO ITO氏により同ポーズで撮影されていることも興味深い。約20年を経た2枚の写真の間には葉(緑)のイメージが挟み込まれ、20年の活動の継続性、楽曲の普遍性を自らアピールすると共に現在の佐野の心情が非常にピュアで瑞々しいことが実感できる。

収録曲に目を向ける。未発表曲の「ディズニー・ピープル」。87年の雑誌インタビューで「先日ディズニーランドに行って作った」とコメントしていた。『ナポレオンフィッシュと泳ぐ日』やその後のアルバムにも収録される様子はなく、お蔵入りかと思っていたら本アルバムで晴れて対面。「エイジアン・フラワーズ」として結実していたとは露知らず、13年越しの謎が解決してスッキリ。未発表曲2曲は非常に興味深いがサービス的意味合いが強く、アルバム全体のトーンからは少し外れているような気がする。むしろこの2曲を除く11曲が重要だ。佐野楽曲にしばしば現われるキーワードが、ここではより強烈に迫ってくる。『君という存在、夜と朝、闇と光、喪失、不在、覚醒、再生』。登場する主人公は皆独りぼっち。"君"という対象は登場するが、決して主人公の傍らにはいない。様々な"君"に想いを寄せ、希求する。君の存在に生かされているという認識にいる主人公たち。
〜どこへ行くでもなく、パレードが過ぎていくのをただ僕はながめている
〜古い世界は回り続けている、僕はもう後戻りはできない、連れていっておくれよ
〜本当に君に伝えたいことはたったひとつ、僕らはもっと幸せになれるって唄って(言って)くれ
〜君にここから救って欲しいんだ
〜君がいなくて僕はつらい、君に会いたいよ
〜まだ少しだけ眠たいけどだんだん目が覚めてきたよ、小鳥のさえずりも聞こえてきたし…
主人公はどれも弱く普通のオトコ。強固な意志に突き動かされることはなく、悩み停滞している。そんな僕(俺)も、夜の闇から朝の日差しを迎えて、ようやく眠りから覚醒しようとしている。やっと立ち上がるんだけどどこに向かって行けば良いのか、何をすれば良いのかわからない。次の新たな一歩を踏み出すには"君"が必要なんだ。"君"に連れていって欲しいんだ。と男は呟く。
そうして考えるとアルバムを貫くテーマ・コンセプトは、"他者を媒介として繋がっている世界"、"君に生かされているという意識"、"覚醒に必要な君の存在"・・・その観念が強く表出している楽曲が互いに見えない磁力と佐野の意志によって導かれたということだろう。それはとりもなおさず、佐野元春本人の世界観や人生観なのかもしれない。

このアルバムのコンセプト・存在自体、ともすると一般の音楽リスナーや、普段BGM代わりに佐野の音楽に接している人にはインパクトの小さい、マイナーな作品集として受け止められるかもしれない。記念すべき(?)20周年、しかもクリスマス商戦時期に何故こんなマイナーな作品を?というイメージかもしれない。しかしながら佐野の活動にはいつもそれなりの理由があった。これまでも"何故今これを?"と周囲が疑問を感じる時もあったが、それでも常に確固たる理由があったのだ。"本当の僕はこんなにフラフラしていて悩み多いフツーの奴なんだぜ。20 年間こうやって生き長らえて来たんだ。君もそうだろ?"ってことを僕らに提示しようとしたのかもしれない。そんな"調子っぱずれ"の佐野元春を僕はこよなく愛している。

…「アイム・イン・ブルー」が入っていれば最高だったのに…


中山 元(なかやま・げん) 34歳。某電機メーカー勤務。ディスプレイ、DVD関連商品の広報担当。3歳になるひとり息子が佐野とレイジ・アゲインスト・ザ・マシーンを口ずさむのを見て「おぉ!将来はロッカーだ!」と狂喜するチョー親ばか。最近ハマっているのはポール・トーマス・アンダーソンの映画とGRAPEVINE。メールはj-beagle@tkb.att.ne.jpまで。



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