logo 不在と喪失


『ジュジュ』という曲が僕は好きだ。この曲を決定づけているモメントはいうまでもなく「ジュジュの不在」である。佐野は「世界がこのまままわり続けても 心はちょっと痛いまま」だと歌う。なぜならそこには「君がいない」から。

騒がしい世界がまるで君のことなど振り返らずにただ通り過ぎて行くとき、その外側にあって途方に暮れる君、そしてその君の不在、「会いたい」と希求される君の存在は、やはりこの世界の仕組みをうまく理解できずにたたずむ僕の頼りなさと確実に呼応している。どこかに異和感を抱きながらこの世界の隅っこに居場所を見つけようとするとき、分かったような顔をして何かをあきらめている自分に少しだけ心が傷む、そのことをこの曲はジュジュの不在に託して歌っているのだ。

「GRASS」というアルバムはそのような不在や喪失を中心的なモメントとする作品ではないかと思う。欠けているもの、足りないものについてを考えることで、僕たちは初めていまここにあるものの意味を知ることができる。「The 20th Anniversary Edition」が佐野元春の正史だとすれば、「GRASS」そうした正史からこぼれ落ちたもの、そこで語られなかったものを拾い集めることで、佐野元春というアーティストの重層性を立体的に検証して見せようとする試みだということができる。

例えばこのアルバムで初めて発表された『ディズニーピープル』と『ブッダ』はともに87年のレコーディングであり、このときのセッションでは他にもアルバム1枚分に相当する曲が録音されたといわれているが、佐野はこのセッションでの音源を一部を除いてお蔵入りにしてしまった。その後、佐野はライブ・アルバム「HEARTLAND」の制作を経てロンドンに渡りアルバム「ナポレオンフィッシュと泳ぐ日」をレコーディングする訳だが、この「幻のセッション」はこの時期の佐野の動きを考える上で本来重要な意味を持っているはずだ。

あるいは『君を失いそうさ』という曲はあからさまに喪失について歌っている。この曲については既に書いたのでそちらを参照して欲しいが、「これが自由なら眠らせて欲しい」と歌い、「このままじゃ君を見失いそうさ」と嘆いてみせる佐野は、自由や真実を追い続けてきた正史の裏側で、その実、僕たちが手にしたものの本質に激しい幻滅をすら感じているかのようだ。

『天国に続く芝生の丘』は結婚式について歌いながらも「死」への眼差しを強く感じさせる曲。教会は結婚式を挙げる場所であると同時に死をも司るところであり、その裏庭は墓場に続いている。まるで色あせた写真を見るように、この曲は「滅び」の予感を焼きつけて行く。

『ボヘミアン・グレイヴヤード』も喪失についての曲だ。この曲のタイトルは「ボヘミアンの墓場」だが、佐野はこの曲で自らの「ボヘミアン気質」を葬ろうとしている。どこにでも行けるのにどこにも行けない、どこをさまよってみても結局そこにあるのは自分という存在の認識だけ、そんなパラドックスの中で佐野は「まるで夢を見てたような気持ち」だと歌う。この曲の現実認識はつらく、苦いが、そこから何かが始まるふっきれたような予感はある。

このアルバムで紹介された曲はどれも佐野元春の音楽を読み解く上で重要な鍵になるものばかりだ。だが、何より重要なことは、このアルバムが全体としてひとつの意志を体現していること、そしてそれがポップ・アルバムとして高いクオリティを備えていることである。この「意志」の本質についてはまた稿をあらためて考えてみたいが、ともかくこのアルバムは「不在と喪失」をテーマにしながら佐野の表現の奥行きを示した、具体的な意味のある編集盤であり、これこそ「NO DAMAGE 2」と名づけられるべき作品だったような気がする。


西上 典之(にしがみ・のりゆき) 35歳。35歳。某銀行の駐在員としてドイツに住みながら、ネット上ではSilverboyというHNで佐野元春のファンサイト「Silverboy Club」を主宰する。最近の興味はドイツ・サッカー2部リーグのSVヴァルドホフ・マンハイムが1部昇格するかどうかとポケモン。欲しいものはレゴ・マインドストーム。好きなタイプは深田恭子。メールはsilverboy@silverboy.comまで。



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