府中の森芸術劇場 SCRATCHより親愛なるSilverboyへ 元気にしているかい? 君がホームページにアップした「元春ナンバー・ベストテン」読ませてもらった。君らしい選曲だ。最後の1曲が選びきれないところから、番外編に渡辺満里奈が入っているところまで実に君らしいと思うよ。君のベストテンはとても解りやすい。番外編はともかく、9曲については選考基準が僕にもよく判るほど一貫しているよね。「This is a story about you」この言葉がもしかすると、君と佐野の曲との関係を端的に表しているんじゃないかな。違うかい? 僕のベストテン?僕はそもそも佐野の曲にセレクションをかけることができない奴だからね。ドライブ用のカセットテープを造った時だって、曲を削ることが出来ないばっかりに、弱いのを承知で120分テープを使ってカーステレオを修理に出す羽目になったぐらいだから。 さて、今度こそ府中の話だ。前回の市川で、会心の出来ともいえるような熱いライブをやってのけたHKBが次に立つステージというものに、僕は非常に興味があった。何故ならそこには必ず新たな核分裂が見え隠れするはずだから。それはその日のステージではまだバランスの悪い、取りようによっては「なんだこりゃ!?」というようなものかも知れない。でもそれが2回3回と場数を踏んでいくうちに6人の中で融合され増幅されて、ふっと気づいた時には目の前でもの凄い爆発が起きている。それがHKBというバンドだと、僕は今まで2年間の付き合いで学習してきた。だからこそ府中のステージは観ておかなくては、僕はそう思ったんだ。 今回の僕の座席は、1階前方のほぼ右端に近い位置だった。前回のメールにも書いたとおり、僕はこの会場とKYONのピアノには特別な思い出があったから、客席からみて右後方にあるピアノブースがスピーカーの影で全く見えなかったのは非常に悔しかった。もっともKYONはギターやアコーディオンを持たせればすかさず前に飛び出してくるから、全く見えないということはないんだけどね。 逆に本当によく見えたのが、左後方に陣取る小田原豊。彼のことは、まるで彼のドラムから僕の座席まで1本ラインが引かれているかのように、その一挙手一投足から叩く時の表情まで誰にも邪魔されることなく観ることができた-時折、佐野が小田原の方へ歩み寄って呼吸を合わせようとする時以外は。よし、それならきょうは小田原を中心に観てみよう。 僕が初日の横須賀で小田原のドラムセットを初めてみた時の正直な感想は「これで本当にいいのかよ、おい」だった。シンバルの数こそ少し増やしているが、ワンタム、つまり俗にいう3点セットなんだ。僕は「THE BARN」アルバムを聴いて、今回の小田原のドラムの表情の豊かさには心底敬服していたから、ステージに組まれた3点セットをみた時には拍子抜けしたというか、本当にあっけにとられた感じがしたよ。もっともライブが始まってすぐ、何の心配も要らないことが判明したけどね。 小田原は今回のツアーでは、このシンプルなセットのどこから出してくるんだと思うほど的確かつ多彩な音を各曲ごとに繰り出してくる。あんまりかっこいいんで、思わず「FRUITS TOURではやる気半分だったんじゃないのか?」といぶかってしまうくらいだよ。「誰も気にしちゃいない」や「マナサス」での素晴らしいプレイはすでに書いた通りだが、まだ書いていない曲でも実はいろいろ凄いことをやってるんだ。 ある曲では照明とバッチリ共謀して一瞬にのうちに曲の表情を変えてしまう。またある曲では日替わりでリズムのアクセントを微妙にずらしていくというイタズラもやっている(この曲を僕は毎回楽しみにしているんだ。しかし井上は感心だよ。どこにアクセントが来ようと眉ひとつ動かさず平然としている。もし僕だったら、毎日違ったりしたらきっとまごついてしまうに違いない)。また、ある"モトハル・クラシック"は、原曲とほとんど同じアレンジでありながら、彼のドラムひとつでもの凄く新鮮な感じに響くんだ。これには驚いたよ(おそらくこの曲が演奏されていることを君が知ったら、君は疑問を呈すると思う。"その曲を演る必要はあるのか?"って。でも小田原のドラムがある限り、僕はこの曲を歓迎するね)。 ツアーはまだ始まったばかりだが、現時点で6人中、最もカッコイイのは小田原じゃないかと僕は思ってる。まあよく考えてみれば、彼は佐野というガキ大将がその腕っぷしをたってと見込んで自分のグループに引き入れた、とびきり根性の座ったガキなわけだから、かっこ良くて当然といえば当然なんだけどね。 Silverboy、君にひとつ面白いことを教えるよ。よく見てると小田原って唄うんだ。ずっと唄っている訳じゃないんだが、要となる曲の要となる部分―例えば「ロックンロール・ハート」のサビとか―にさしかかると口が唄ってる。別に曲を口ずさみながらドラム叩く奴は大勢いるし、"だから何なんだ"と言われればそれまでなんだが、"小田原が唄っていた"というのは僕にとって新しい発見だったし、何だかとても嬉しいことだったんだ。それを君に伝えたかった。 今回のメールは小田原の話ばかりで申し訳ない。でも、小田原のことは初日からずっと書くチャンスを狙っていたし、それに今回のステージ、僕はどうしても曲について書くような気が起こらないんだ。 冒頭で予測したように、おそらくHKBはツアー4日めにして早くも、新しい局面に入ってきている。この府中で、僕はその核分裂の始まりはキャッチできたように思ってる。本来ならそのことを書くのが本当のライブレポートなのだろうし、実際それを書くことも考えたんだが、僕には少しだけ自信がないんだ。僕は一介のファンであり、彼らの日常会話を聞いている訳でもなければ打合せをみている訳でもない。僕が感じたものが本当に新たな始まりの予兆なのか、それともただのエゴのぶつかり合いだったのか、それを見切るには少しだけ、自信が足りないんだ。だから、申し訳ないけれど新しい核分裂のことを書くのはほんの少しだけ待ってほしい。もう1回だけ彼らを観て僕なりの確証が得られたら、その時は自信たっぷりに「やっぱりあいつらは凄いよ」って書きたいと思う。多分、それはそんなに遠くない未来のことだから。 因みに僕が核分裂の始まりと感じたものは、府中のステージにおいては決して手放しで「OK!」と喜べるようなものではなかった。どちらかというと「なんだこりゃ?」に近いものだった。でも2回連続でファンに「なんだこりゃ?」と言わせるほど、彼らは愚か者じゃないってこと、僕は信じているよ。 それじゃ。また今度。 親愛なるSCRATCHへ メールどうもありがとう。 小田原豊のドラム・セットがワンタムだと聞いて驚いたよ。ああ、もう、どうしてキミは僕がライブを見てみたくなるようなことばかり書くんだろう。 佐野元春の、そしてHKBのステージが日毎に変わりつつあること、キミのレポートを読んでいるだけでもよく分かるような気がする。キミならきっとその行き着く先を見定めることができるだろう。僕はそれを期待している。 給料日が来たのでちょっとはマシなものを食べられるようになっただろうか。身体に気をつけて。 ではまた 1998-2021 Silverboy & Co. e-Mail address : silverboy@silverboy.com |