logo フィルム・ノー・ダメージ


幻の映像作品とは言われていたものの、演奏シーンのほとんどはビデオ「Truth '80-'84」などで既に発表されているもので、初めて見た映像はオープニングと「ベッド・イン」などわずかだった。だが、それにも関らず、この日劇場で見たこの映画は僕が想像していたものをはるかに凌駕していた。

まずひとつは音の迫力がこれまで自宅のビデオで見ていたものとはまったく違うということ。もちろんオーディオ・セットの違いはあるのだが、これまでビデオで見ていたものとは違う音源なのかと真剣に考えるくらい音がクリアで劇場での大音量の再生にも十分耐える。いや、むしろ大音量でこそ価値のあるリマスターだ。

だが、何より強く感じたのは、佐野元春はポップ・イコンであるという単純な事実だ。

佐野がステージに現れるだけでわき上がる嵐のような歓声、いや、嬌声。無邪気な子供のようにオーディエンスを煽り、ユーモアたっぷりのジェスチャーでレスポンスを要求する佐野。ステージを駆け回り、張りのある声で惜しげもなくレパートリーを次々と歌い放つその姿は、青年というよりは少年と言っても通るほどまだあどけなく、直接的だ。

例えば『ガラスのジェネレーション』。今回の上映のヘッドコピーにもなっている 「つまらない大人にはなりたくない」というキーフレーズを、ここでの佐野はおよそ何の感興もなく歌う。楽しげに歌い飛ばす。それはただの歌詞だとでもいうように、僕たちがそのあと何年も、いや何十年も繰り返し自らの胸に問うことになるその重要なメッセージを、27歳の佐野はいとも簡単に歌いきってしまう。そんなの当たり前じゃないかとでも言わんばかりに。

ここにいるのはただのポップ・スターだ。まだ、成長とか成熟とかいうやっかいな問題を深刻に背負い込む前の、そして、僕たちがいろんな面倒くさい「意味」をくっつけてしまう前の、「ただそれだけ」の佐野元春だ。曲を書き、ギターを抱え、マイクに向かってシャウトすることを無上の喜びとする27歳の、愛すべき、若き、悪き、愚かな、そして無二の佐野元春だ。

そして僕たちは気づく。僕たちが佐野に夢中になったのは佐野が「ただそれだけ」の佐野であったからこそなのだと。僕たちは思い出す。「ただそれだけ」の佐野の存在感こそがすべての始まりだったのだと。

すべてはここにあったのだ。ひとつの受精卵がしかし既にすべての器官の遺伝情報を予めそのうちに秘めているように。この時間と空間の中には、佐野が、そして僕たちがその後経験することになるすべてが予め含まれていたのだ。

この映画はそのことを何よりも雄弁に物語っている。ほとんど知っているはずの映像なのに、仕事帰りの映画館で、スクリーンだけを一心に見つめながら、ふだん自分の家では出せないような大音量でこの一連のシークエンスを体験すれば、僕たちが長い間抱えていた謎さえもが全部解けてしまうような気がする。

『Heart Beat』のアウトロで身体を折るようにしてブルースハープを演奏する佐野。最後の一息を吹き込む前に大きくブレスする、その瞬間、僕たちは「真実」がどのようにして一瞬だけ顕現するのかを知る。これはそういう映画なのだ。



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