logo 第7回殿堂入りアルバム


THE STONE ROSES The Stone Roses (1989)

このアルバムを聴くたびに僕は少し混乱する。89年、僕が就職して働き始めた年だ。大学生の頃からの彼女とつきあいながら、独身寮に住み、週末に実家に帰っては大学の頃に買ったレコードやCD、録りためたカセットテープを聴いていた。このアルバムは実家の近所の貸CD屋で借りてカセットに落としたはずだ。ひとつのアルバムをじっくり聴くということができなくなった環境で手にしたこのアルバムの最初の印象は、だから希薄だ。前評判の割にはピンとこなかったのを覚えている。

こんなふうにして僕は音楽から離れて行くのかな、と感じて僕は無性に悲しかった。彼女との遠距離恋愛は少しずつうまく行かなくなり、僕はひとりで音楽を聴くようになった。この頃に聴いたアルバムはどれも僕の中にまっすぐ入ってこなかった。おそらく僕自身に余裕がなくて、音楽に自分を開くことができなかったのだと思う。このアルバムを聴いても、ああ、また新しいバンドが出たんだなあ、としか感じられなかった。ギターの音がすごく深くくぐもってるなあ、と思っていた。

あれから15年近くがたった。ストーン・ローゼズは5年のインターバルを置いて2枚目のアルバムを出した直後に解散したが、それでも僕は音楽から離れなかった。音楽は僕にとってますます切実なものになった。このアルバムで彼らが何に絶望し、何に希望を託していたか分かる気がするようになってきたのは最近のことだ。聴くたびにくぐもったギターの音がリアルに響くようになった。今では大学生の頃に聴いた何枚かのアルバムより、確実に僕の近くにある、これはそんな作品だ。
 

 
DARKLANDS The Jesus And Mary Chain (1987)

ジーザス&メリーチェインはデビューした瞬間に終わってしまったバンドだ。彼らのデビューは容赦のない歴史的なジェノサイドだった。彼らは片っ端から殺して殺して殺しまくり、我に返った血まみれの彼らが呆然と立ち尽くす頃にはもうだれもそこにはいなかった。それから解散するまでの彼らの道のりは、結局長い長い皆殺しのバラードに過ぎなかったのだと思う。だれも歌い出さない、何も動かない、ただ風だけがウソ寒く吹き抜ける、すべてが死に絶えた最終戦争後の荒野に流れるための。

このアルバムは彼らが最も重要な仕事を終えた後にやってきたアウトロの始まりを告げるアルバムである。ここで奏でられるロックは余りに静かだ。不気味なくらい静かだ。なにしろそれは自らが虐殺した死者のための音楽なのだから。何もかもが凍てついたように静止し、物音ひとつ聞こえない、どんなに歪んだギターの響きも激しいビートも、もはやだれも何も動かすことはない、そんな荒涼とした心象風景を確実に喚起して行く「終わり」の音楽だ。これは何かを終わらせるための音楽なのだ。

JAMCといえばもちろんロック史的には鮮烈なデビューが重要なのだが、このバンドの本当の「意味」は、彼らがその大虐殺を終え、もう何もすることがないにもかかわらずだらだらと発表し続けた何枚かのアルバムの方にある。彼らが彼ら自身を終わらせるために必要だった手続きにこそ彼らの本質があり、無様にのたうちまわり続けた果てしない戦後処理、敗戦処理の中に普遍的なものは隠れていた。何も語らない、何も訴えない、ただ寒々としたロックだけが流れて行く時間、それがJAMCの至福。
 

 
BANDWAGONESQUE Teenage Fanclub (1991)

いきなりハウリング・ノイズから始まるM1を聴くだけでこのバンドが並みのポップ・バンドではないことが分かるだろう。抜群のメロディ・センスと美しいコーラス・ワーク、だがそれだけなら僕はこんなに熱心に彼らの音楽を聴かなかったはずだ。このアルバムが僕の苛立ちのスピードみたいなものと同期したのは、そうしたポップ・ソングが歪んだギターで徹底的に汚されていたからだ。暴力的に歪められたギターの奥から語りかけてくるからこそ美しいメロディに意味があるのだと僕には思えた。

なぜならそこには、この美しいメロディを美しいままで早くだれかに届けたい、届けなければというある種の切迫感、性急さがあったからだと思う。そうした意識で加速したポップ・ソングは必然的にどこか歪んだものになるしかなかったのだ。90年代というとりつく島のない時代の始まりにあって、ティーンエイジ・ファンクラブはつんのめりそうになるくらいの前傾姿勢で、これでもかというほどポップな曲を強引に奏でながら高速で運動していた。ポップ・ソングのドップラー効果、青方偏移だ。

長い間そう思っていたのだが、実際今あらためて聴くとこのアルバムの音のひずみ方なんて全然大したことないのに気づく。それよりむしろ、今のティーンエイジ・ファンクラブに通じる曲作りの端正さの方が印象に残るくらいだ。だが、それにもかかわらずここでの彼らが何かを急いでいることは依然として確かなように思える。遠くドイツの狭苦しい語学学校の寮で、携帯用のCDプレーヤーから安いスピーカーを通して出てくる音がひずんでいたのは錯覚ではなかった。これは、リアルなポップだ。
 



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