都会で生活するということは、自分をめぐるさまざまな関係を自分の手で自覚的に構築して行くということである。都会での生活に疲れ夢破れた主人公が田舎へ帰ってくるドラマは数多くあるが、僕はそうしたものを見るたびにゾッとしてしまう。彼らは都会を捨てたのではなく都会に捨てられたのだ。自己の内面と対峙することができずに、ア・プリオリな人間関係が保障される場、何もしなくても何者かでいられる場所へと逃げ帰ってきたのである。それは自分が自分であることへの責任の放棄だ。
もちろん都会での生活にはリスクも多い。匿名性の背後に潜む危うさや悪意に背筋が寒くなることもある。しかしそこには自己決定の意識的な肯定があり、自己同一化への明確な意志がある。自分であり続けようとしなければすぐに何者でもなくなってしまう張りつめた孤独がある。だから僕は地縁や血縁に依拠した安易な「共同体」への回帰にははっきりとノーをつきつけたい。そして都会の緊張感の中で自分の物語を探し続けることをこそ僕自身の営為の核として肯定し、自らに課したいと思うのだ。
調子っぱずれのピアノ、闇の中からささやきかけてくるようなボーカル。トム・ウェイツが歌い始めるとき、僕たちはそのような都市生活の本質を思う。そこにおいて僕たちが得たものと失ったもののことを思う。そして一人でいるということがどういうことか、だれかといるということがどういうことかを知る。自分が自分であり続けるために汚された自分の手を見つめること。それは都市生活者のブルース、都会で身を切るような寂しさを経験し、それを生き延びた者にしか分からない音楽。
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