初めてオアシスの曲を聴いたとき、この当たり前のロックンロールのどこがそんなにすごいのだろうかと思ったものだ。クリエイション・レーベルの「最終兵器」として鳴り物入りでデビューしたバンドだったのでシングルもきちんと英国盤で揃えて律儀にフォローしていたのだが、このあまりにまともで何の変哲もないロックンロールのどこが90年代型なのか僕にはさっぱり理解できなかったのだ。偶然MTVで彼らのクリップを「再発見」するまで、このアルバムは僕のCDラックで忘れ去られていた。
それは「Whatever」という曲のクリップだった。ストリングスを導入し、露骨にビートルズを意識したアレンジに、僕は大笑いしながら膝を打った。これはいける、これはすごいと。それから「Some Might Say」、「Roll With It」と立て続けに「まんまビートルズ」な曲で地歩を固めて行く彼らのサクセス・ストーリーを目の当たりにしながら、長い間聴いていなかったこのアルバムを引っ張り出してみたら、何のことはなかった、「初めっから全部ここにあった」のだ。なんや、これやったんや、と。
もう最初っから最後まで全部シングル・カットみたいな調子のいいロックンロールのオンパレードだ。こんなに調子よくていいのか、ていうかロックとしての批評性はどこにあるんやという感じももちろんするんだが、構うことはない、この批評性のなさが批評性なのだ。労働者階級のエモーションを直撃する泣きの入ったメロディ、それはロックンロールが最もベタな意味で肉体性を再獲得した証なのだ。乾いた砂地に水がしみこむように効いてくる、結構僕たちが忘れていたロックンロールのマジック。
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