「I'm Losing More Than I've Ever Have」という曲がある。セルフ・タイトルのセカンド・アルバムに収められているこの曲をアンディ・ウェザオールはズタズタに解体し、そのパーツで新しい曲をでっち上げた。それはまるでブラック・ジャックが奇形膿腫から取り出した人体パーツでピノコを作り上げたように。それがこのアルバムのひとつのクライマックスである「Loaded」だ。ピノコが人間と人造人間の境界にいるように、それはロックがロックでいられるぎりぎりの地点であったと思う。このアルバムはロックの臨死体験に他ならない。
ボビー・ギレスピーはそうしたロックの死の淵をのぞき込んだ上で再びこちら側に帰ってきた奇跡の生還者だ。彼がそこで見たものは何だったのか。解体された自らの作品の彼方に彼が見た光はどんな色をしていたのか。その答えがこのアルバムである。ここではロックという言葉は限りなく無意味に近い。だが、ここで行われていることは何かのっぴきならない切迫性をはらんでいるし、それがやはりロックとしか呼びようのないものであることもまた確かなことだ。それは一度死んだロックなのだ。
このアルバムでボビーが手に入れた特権性はロック表現に対する完全に自由な眼差しだった。特別な光を見る特別な目だった。それが幾分はEやコカインに依存していたとしても、ともかくボビーの見ている景色は僕たちのそれとはもはや違っているはずだ。なぜなら一度臨死を経験して再び見る現世はきっと今までとは違う光に満ちているだろうから。ボビーは今も臨死後のロックを生き続けている。いや、彼にとってロックという言葉はもはや意味を持たないかもしれない。彼自身がロックなのだから。
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