logo 第4回殿堂入りアルバム


SCREAMADELICA Primal Scream (1991)

「I'm Losing More Than I've Ever Have」という曲がある。セルフ・タイトルのセカンド・アルバムに収められているこの曲をアンディ・ウェザオールはズタズタに解体し、そのパーツで新しい曲をでっち上げた。それはまるでブラック・ジャックが奇形膿腫から取り出した人体パーツでピノコを作り上げたように。それがこのアルバムのひとつのクライマックスである「Loaded」だ。ピノコが人間と人造人間の境界にいるように、それはロックがロックでいられるぎりぎりの地点であったと思う。このアルバムはロックの臨死体験に他ならない。

ボビー・ギレスピーはそうしたロックの死の淵をのぞき込んだ上で再びこちら側に帰ってきた奇跡の生還者だ。彼がそこで見たものは何だったのか。解体された自らの作品の彼方に彼が見た光はどんな色をしていたのか。その答えがこのアルバムである。ここではロックという言葉は限りなく無意味に近い。だが、ここで行われていることは何かのっぴきならない切迫性をはらんでいるし、それがやはりロックとしか呼びようのないものであることもまた確かなことだ。それは一度死んだロックなのだ。

このアルバムでボビーが手に入れた特権性はロック表現に対する完全に自由な眼差しだった。特別な光を見る特別な目だった。それが幾分はEやコカインに依存していたとしても、ともかくボビーの見ている景色は僕たちのそれとはもはや違っているはずだ。なぜなら一度臨死を経験して再び見る現世はきっと今までとは違う光に満ちているだろうから。ボビーは今も臨死後のロックを生き続けている。いや、彼にとってロックという言葉はもはや意味を持たないかもしれない。彼自身がロックなのだから。
 

 
PACIFIC STREET The Pale Fountains (1984)

ネオ・アコースティックと呼ばれる一群の音楽は実際にはさまざまな方向性を持ったバンドを包含しているが、その中でもこのペイル・ファウンテンズは飛び抜けてソングライティングが巧みであり、アレンジのバラエティが豊かでブラスや弦の使い方もつぼを心得ている。ヘアカット100も同じように幅広い音楽的バックボーンを感じさせるが、アイドル的な華があるニック・ヘイワードに比べるとペイル・ファウンテンズにはもう少しバンド的な骨っぽさがあって、曲が鳴り終わった後に何かを残して行く。

なぜなら、ただ美しいだけではない、ただポップなだけではない、ギターをかき鳴らして声を張り上げずにはいられないマイケル・ヘッドの音楽への関わり方が、僕たちの生への関わり方をそのまま思い起こさせるからだ。僕たちが好むと好まざるとに関わらず毎日メシを食い、クソをして、セックスせずには生きられないように、マイケル・ヘッドは曲を書き、ギターをかき鳴らして声を張り上げないでは生きられない。マイケル・ヘッドの声が僕たちの心に震えのような傷跡を残してゆくのはそのせいだ。

ペイル・ファウンテンズとして2枚のアルバムを製作した後、88年にマイケル・ヘッドはシャックという新しいバンドで活動を始めたが、ファースト・アルバムを発表しただけで彼らは長い沈黙に入ってしまう。お蔵入りになっていたアルバムが90年代後半になって発掘され、99年に奇跡のような復帰アルバムが発表されるまで、マイケル・ヘッドはドラッグに苦しんでいた。それでもアコースティックでポップな曲を書くことでしか自己を実現できない男の、これはあまりに鮮やかなスタート地点である。
 

 
NEVER MIND THE BOLLOCKS Sex Pistols (1977)

いかにもラジカルでハードな最新型のパンクやヒップホップが「出会いを大切に」だの「親をリスペクト」だの年寄りみたいな説教を垂れてくれる00年代の日本にあって、若者の諸君はこのアルバムを聴くべきだ。この作品は今や笑ってしまうくらい音楽的でポップなロック・アルバムに過ぎないが、そこにあるジョニー・ロットンの挑発的なボーカルは、ふだん僕たちが気づかないふりをしてやり過ごしている暗黙の約束事を堂々と告発する不穏さに今でも満ちている。25年も前のアルバムなのに、である。

もちろんこの不穏さは実際には演出され、管理されたものだった。マルコム・マクラーレンという天才的なプロデューサーが、ありがちな若者のフラストレーションを商売にしたのがピストルズの真相に過ぎない。管理された自暴自棄、しかしそんな自己矛盾の中でジョニー・ロットンはロックを僕たちの生活と同じ地平に引きずり戻した。彼は表現手段として袋小路に迷いこんだロックに死を宣告することで逆に衝動の暴発としてのロックを蘇生させたのだ。そう、シド・ヴィシャスという生贄の羊を得て。

僕はパンクを理解しない人間を基本的に信用しない。ジョニー・ロットンことジョン・ライドンがマルコム・マクラーレンという枠をはみ出し、最後にはパンクという看板をも笑い飛ばしてピストルズの再結成をやってみせたとき、「カネのためだ」と言い捨てた彼は最高にカッコよかった。何かを本気で罵倒し続けるのは本当はとてもエネルギーの必要なことだし、その落とし前をつけ続けるのはさらに難しいことだが、ジョン・ライドンはパンクというのはそういうものだと身をもって示して見せたのだ。
 



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