logo 第3回殿堂入りアルバム


ENGLISH SETTLEMENT XTC (1982)

ドイツに転勤してしばらく、僕は為替ディーラーをやっていた。大した規模のディールではなかったのだが、一瞬の気の緩みがとんでもない額の実損を生みかねない世界である。ある時一日の仕事を終えてみると本当に動けないくらい疲労困憊したことがあった。飲みに行かないかという上司の誘いも疲れているので勘弁してくれと断ったことを覚えている。適当な言い訳を考える力もないほどくたびれていたのだ。家にたどり着いてもぐったり。神経が張りつめるとはこういうことかと思った。

それは辛いとかしんどいとかいうのとはまた別の種類の感覚だった。むしろ満足感や達成感に近いものだ。ある種の満足感を味わうためにはギリギリの負荷を自分に課する必要があるのだと僕は思った。密度の高い情報を恐ろしい高速で処理し続けることは一種のトリップになり得るのかもしれない。XTCのこのアルバムはそういうトリップを与えてくれる音のドラッグだ。もちろんそれはその代償として厳しい緊張をリスナーに強いる。何かをしながら片手間に聴くことは許されないのだ。

ここに詰めこまれた音楽は卒倒するほど密度が高い。決して音が分厚いというのではないのだが、極限まで研ぎすまされ寸分の狂いもなく配置されたひとつひとつの「音素」みたいなものの集積は息をする隙間もないくらい緻密だ。1枚通して聴くと神経がぐったり疲れ頭の中で得体の知れないサイケデリックな紋様が渦を巻くのが分かる。そんなアルバムを聴いて楽しいかと言われればもちろん楽しいのだが、頭をクリアにして音楽と「対決」する覚悟がないと聴けないことは確かだ。名作。
 

 
LITTLE CREATURES Talking Heads (1985)

ヨーロッパから見ると日本は東の果てにある。大西洋を越えて西に進むとアメリカだが、逆に東へ進むと近東があり中近東があり中東があり、インドがあって中国があってやがてついに東の最果てにたどり着く。そこが日本だ。それが極東という言葉の意味なのだ。西洋文明から見れば我々は圧倒的に辺境の地に住む未開の民である。もちろん現在ではそういう世界観が大きな声で語られることはない。しかし欧米の白人が世界を見る眼差しの根底には常にそういう意識が潜んでいると思った方がいい。

トーキング・ヘッズ、デビッド・バーンの音楽は往々にしてエスニックな要素を含んでいるし、それがポップ・ミュージックとしてロック的な文脈との間に絶妙なバランスを保っているところが売り物でもあるのだが、そのエスニックな「味つけ」の背後にどうしようもなく白人的なエスニック観が横たわっているような気がして鼻についてしまうときがある。宗主国が植民地を見る視線、主人の従僕に対する慈しみみたいなものの存在が、非白人である僕をどうしようもなく苛立たせるのだ。

もちろんこのアルバムにもそういう部分はある。しかしここには自分がアメリカ白人であることへの潔い割り切りみたいなものがあって、それがある種の直接性に繋がっている。自分にとっての未開の地はアジアやアフリカにあるのではなく、アメリカの片田舎、ありふれたアメリカ白人の日常の中にこそあるのだという覚醒が、逆にこのアルバムをアメリカ白人以外にも開かれたものにしているのだ。自分の中の欠損を外なる未開からの簒奪に依拠せず超克したインテリ・ロックの傑作だと言っていい。
 

 
SAINT JULIAN Julian Cope (1987)

一説によればこれはジュリアン・コープが尊大で愚かな白人ロックンローラーを揶揄するために演じたそのパロディだと言われる。そう考えればタイトルの「聖ジュリアン」も納得が行く。自らをキリスト教の聖人になぞらえてしまう罰当たりなタイトルも、冒涜的なロックンローラーを演じる道具立ての一つだという訳だ。ジュリアン・コープはここで「カッコいいロック」の醜悪さを逆説的にたたきつけているのだと。そういえばジャケ写はロックに殉教して十字架に架けられる姿のようにも見える。

だがこのアルバムのすごいところは、そうした彼の屈折した思い入れとはまったく関係のないところで、純粋なロック・アルバムとして恐ろしく高い水準で完成しているということだ。輪郭のくっきりしたメロディ、劇的な曲構成、ソリッドでタイトなギター、歯切れのいいビート、優れたロックンロールが備えているべきものはすべてここにある。それはまるで「優れたロックンロール」のパロディででもあるかのように。そして、優れたパロディは往々にして元ネタの最も純粋な結晶ででもあるのだ。

ジュリアン・コープは躁鬱的な精神の闇を抱えたアーティストだ。亀の甲羅を背負って地面に這いつくばって見せた初期のアルバムから、珍妙なモヒカンになってしまった今日まで、そのことはジュリアン・コープの本質的な属性であり、彼の才能はそうした精神性と寄り添ってしかあり得ないのだろう。本作はそうした彼の闇さえもが最もポップに結実した希有なアルバム。自らの中にそんな屈折した逆説を築き上げずには当たり前のロックをすら歌うことのできなかった彼の痛々しい才能のアンセム。
 



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