一説によればこれはジュリアン・コープが尊大で愚かな白人ロックンローラーを揶揄するために演じたそのパロディだと言われる。そう考えればタイトルの「聖ジュリアン」も納得が行く。自らをキリスト教の聖人になぞらえてしまう罰当たりなタイトルも、冒涜的なロックンローラーを演じる道具立ての一つだという訳だ。ジュリアン・コープはここで「カッコいいロック」の醜悪さを逆説的にたたきつけているのだと。そういえばジャケ写はロックに殉教して十字架に架けられる姿のようにも見える。
だがこのアルバムのすごいところは、そうした彼の屈折した思い入れとはまったく関係のないところで、純粋なロック・アルバムとして恐ろしく高い水準で完成しているということだ。輪郭のくっきりしたメロディ、劇的な曲構成、ソリッドでタイトなギター、歯切れのいいビート、優れたロックンロールが備えているべきものはすべてここにある。それはまるで「優れたロックンロール」のパロディででもあるかのように。そして、優れたパロディは往々にして元ネタの最も純粋な結晶ででもあるのだ。
ジュリアン・コープは躁鬱的な精神の闇を抱えたアーティストだ。亀の甲羅を背負って地面に這いつくばって見せた初期のアルバムから、珍妙なモヒカンになってしまった今日まで、そのことはジュリアン・コープの本質的な属性であり、彼の才能はそうした精神性と寄り添ってしかあり得ないのだろう。本作はそうした彼の闇さえもが最もポップに結実した希有なアルバム。自らの中にそんな屈折した逆説を築き上げずには当たり前のロックをすら歌うことのできなかった彼の痛々しい才能のアンセム。
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