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ENTERTAINMENT! ENTERTAINMENT!
佐野元春 & The Coyote Band

DaisyMusic
[DL] (2022.4.8)
DMA-026 [CD] (2022.7.6)
DMVY-007 [LP] (2023.3.8)

Producer: Moto 'JET' Sano
Co-Producer: 大井'スパム'洋輔
Recording Engineer: 渡辺省二郎
Mixing Engineer: 渡辺省二郎
Mastering Engineer: Randy Merrill

作詞・作曲・編曲: 佐野元春
エンタテイメント! Entertainment!
愛が分母 /Love
この道 -2022mix version Blue Sky
街空ハ高ク晴レテ -Alternative version
 City Boy Blue

合言葉 Save It For A Sunny Day
新天地 Sweet Refugees
東京に雨が降っている Rainy Day In Tokyo
悲しい話 Jamming
少年は知っている Boys Know Why
いばらの道 All Our Trials



「新作アルバム2タイトル連続リリース」の第一弾として当初配信のみでリリースされた10曲入りのアルバム。前半の5曲は既に配信などで公開されていた曲、後半の5曲は新曲である。その後、「メディア化を要望するファンの声にこたえた」として同年7月にリリースされたアルバム「WHERE ARE YOU NOW」の初回限定盤にCDで同梱された。単独でのCD発売はない。

『エンタテイメント!』は2020年10月にリリースされたベスト・アルバム「THE ESSENTIAL TRACKS 2005-2020」からの先行シングルとして同年4月に配信リリースされ、その後同アルバムに収録されたもの。英文タイトルが「It's Only Entertainment」から「ENTERTAINMENT!」に変更されている。

愛が分母』『街空ハ高ク晴レテ』『合言葉』は2019年から2021年にかけて配信リリースされたシングル、『この道』は2020年4月にYouTubeで無料公開された曲で、『この道』と『街空ハ高ク晴レテ』は新たにリミックスされたことを示唆するバージョン名が付記されている。

シングル曲を中心に構成されたこともあってか、アルバム全体は聴きやすいポップ・チューンを中心とした軽妙なトーン。3分台のシンプルな作品が並び、10曲通して聴いても35分とコンパクトな作品となった。

このアルバムを聴くとき、考えないわけに行かないのが新型コロナウィルス感染症(COVID-19)のことだ。例えば『この道』はCOVID-19が最初に問題になり、緊急事態宣言が発出されて外出を控えることが推奨された2020年4月に発表された曲だ。バンドのメンバーはインターネットを介してマルチ・レコーディングを実施、「佐野元春とコヨーテバンドはこの曲で、コロナ禍で疲れた人たちを応援します」というメッセージとともに、この曲はYouTubeで無料配信された。

『合言葉』は同年10月、「特に先が見えないコロナ禍の状況にあって、疲れたひとたち、安らぎを求める人たち、勇気を望む人たちに届いたら嬉しい」というコメントを添えてリリースされた。「計画はみんなムダになった」が、夢や希望はいつか晴れた日までとっておこうと歌う。公式サイトのリードは「コロナ禍が明けた後の新しい日のために」。

このアルバムで新たに発表された5曲のなかにも、『東京に雨が降っている』のように「世界中に雨が降っている しばらくはやみそうもないよ」「この雨の向こう 濡れた街を歩いて行こう」と、思いがけず訪れた困難とその先に思いを馳せる渇望が読み取れる曲があり、『悲しい話』のように「その話はもう聞きたくないんだよ」「これから先が心配なんだよ」と、気がふさぐ日常の思いを代弁するかのような曲がある。

思ってもいなかった感染症の流行のために自宅に閉じこもることを強いられ、外食もままならず、先の見通しも立たないまま、ただパンデミックの収束する日を待ちながら、しかしその時間は自分の生活や働き方、大げさにいえば自分の在り方、生き方を問い直すことに使われた。この奇妙なモラトリアムの突然の訪れは、僕たちの心に意図せぬ動揺をもたらす一方で、ふつうなら立ち止まることも許されない日常にエアポケットのような不可解な静寂を運んできた。

僕たちはいろいろな予定を先送りし、息をひそめて災厄が過ぎ去るのを待った。僕たちは「やれやれ」と言いながら時をやり過ごしたつもりだった。しかし『合言葉』の「計画はみんなムダになった でも構わない」「まだチャンスはあるよ」というラインを聴いたとき、僕は本当に自然に涙がこぼれるのを止められなかった。僕たちは、感染症の影響下で世界とのつながりを見失い、自分が思っていた以上に深く傷つき、不安にさいなまれ、損なわれていたのだ。

『この道』や『合言葉』が威勢のいいビート・ナンバーではなく、ゆったりとしたレゲエであったり、軽やかなポップ・チューンであったりしたことは、そうした不安を元気よくけり飛ばすよりは、それにそっと寄り添うことこそ必要だと感じた佐野の判断だっただろう。このアルバムは、そのような、僕たち自身すら気づいていなかった「損なわれたもの」にきちんと言及することで、このパンデミックを僕たちの心の中に位置づけたのだと思う。

このアルバムはなによりもまず、COVID-19のパンデミックという大きな出来事についてのそうした佐野のコミットメントとして重要な作品である。そこには、この逃れようのない世界的な災厄にあたって、佐野がなにを見てなにを思い、なにを訴えたかというリアルタイムの記録がある。どんな表現もその時代性から逃れることはできないが、このアルバムはむしろその共時性によってこそ理解されるべき代えの効かない作品となったのだ。

しかし、このアルバムの価値はもちろんそこだけにあるのではない。この混沌とした21世紀前半にあって、なにが真実でなにがニセモノか、我々はなにを目印に地図のない世界を歩けばいいのか、この手に実際につかむことのできる確かなもので毎日をやり繰りして行くことは可能なのか、そのような問いに佐野は答えようとしている。切迫した時間のなかで、僕たちの生の直接性を奪還しようとする佐野の意志は、アルバム「THE SUN」以降、とりわけコヨーテ・バンドとの共同作業以降顕著だが、それはもちろんここでも不変だ。

炎上のための焚き付けを日替わりで探すような世界で、それらはすべて書き割りのように平板なエンタテイメントのひとつに過ぎない。だれかが堕ちて行くのを毎日見ているだけの安っぽいエンタテイメントを束の間あてがわれ、それでも休むことなく流れて行く時間のなかで、僕たちはどのようにして自分自身の生を自分自身の手でしっかりと握りしめ続けられるのか。僕たちはどのようにして間違いなく自分が自分自身であることを確かめ続けられるのか。

最後に置かれた『いばらの道』で佐野は、ここはいつか来た静かないばらの道だと歌う。そして、朝がくれば、明日になれば涙の跡も消え、悲しいことも忘れると繰り返す。しかしそれは決して楽天的な希望の歌ではない。それはむしろ、静かに忍び寄る暗い影のように不吉で窮屈な、息苦しい時代の空気を暗示している。そのなかで涙の跡が消える夜明けを待つ、これは祈りの歌、ゴスペルに他ならない。

もちろん、「いばらの道」に何を重ね合わせるかは聴き手に委ねられている。どんな人もなにがしかの煩いや憤りを抱えているのは当然だし、その重みは結局だれとも分け合うことのできないひとりひとりの荷物である。しかし優れたゴスペルは、シンプルであるゆえに、ひとりひとり異なるはずの痛みを重層的に引き受け、それを生の希求に転化するだけの寛容さと多義性をもっている。このアルバムは、そうした重層性、寛容さ、多義性のなかで、自分の存在を確かめ、そしてそれをなんとかよきものとして肯定しようとするギリギリの物語なのではないかと僕は思う。

もうひとつだけ付け加えるなら、このアルバムはCOVID-19とは別の、もうひとつの共時性を否応なく背負いこむことになった。それは2022年3月から、本稿を書いている5月まで続いているロシアのウクライナ侵攻である。もちろんこのアルバム自体はその何か月も前に制作されたものだが、世界があたかも善と悪の二つに分かれ、そのどちらに与するのかを毎秒迫られるかのような息苦しさは、侵攻前からそこらじゅうに満ちていたものだし、それはこのデタラメな侵攻と確実に通底しているのである。

先に述べたようなこのアルバムの重層性、多義性は、こうした社会状況をもまた、予めそのうちに含んだものだったといっていいだろう。佐野が異議を申し立て続けてきたのは、なんであれ世界をオレらとヤツらとに分割し、その間を隔ててしまおうとするすべての試みに対してだったのに他ならないのだから。

困難な時代にあって、自分の生を、自分自身の手に直接グリップすることにフォーカスした、優れて個人的な、しかし一方で極めて社会的で政治的な、そういうアルバムだと思う。



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