犬は吠えるがキャラバンは進む
小沢健二
EASTWORLD
TOCT-8183 (1993)
■ 昨日と今日
■ 天気読み
■ 暗闇から手を伸ばせ
■ 地上の夜
■ 向日葵はゆれるまま
■ カウボーイ疾走
■ 天使たちのシーン
■ ローラースケート・パーク
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「もう間違いが無いことや もう隙を見せないやりとりには 嫌気がさしちまった」小沢健二のファースト・ソロ・アルバム。ここで歌われるのはいきなり生の本質に降り立とうとするような生々しさ、性急さであり、もっとまっすぐストレートに「心を動かすもの」に切り込んで行きたいという小沢の意志に他ならない。その高い文学性と衒いのないコミュニケーションへの希求でこのアルバムは高い評価を受けた。まっすぐに見据えることで、つまらない皮肉屋たちは「街で深く溺れ死んで行く」。
だが、そうした生に対する小沢の肯定が僕たちの生活に現実性を持ち得るとすれば、それは小沢が人間同士のコミュニケーションの限界に一度は絶望しながら、それでもなおどこかに残されたはずの「信じるに足るもの」を、自分の内側に、まるで目を閉じなければ見ることのできないまぶたの裏の残像を見ようとするように探しているからだ。小沢がもし無批判に人間の善良さや生きることの素晴らしさという題目に依拠しているだけなら、その言葉が僕たちのどこかを打つことはなかったはずだ。
そのことは本作の白眉とも言える「天使たちのシーン」の、「神様を信じる強さを僕に」という歌詞に表れている。この歌詞は「人を信じない強さを僕に」ということと同値だ。そのような本質的な絶望の上に立つことなしに、小沢はフリッパーズ後を始めることができなかったのだ。ほとんど躁状態のようなセカンド・アルバムを経て再び文学性の深奥へと向かう小沢は、その移り気や少年性や屈託のない笑顔や饒舌と裏腹に、初めからずっと孤独だったしこれからもずっと孤独なのだと僕は思う。
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