logo Elvis Costello (Part 2)


SPIKE (1989)
Spike

★★★★
前作から3年のブランクを経て、再びメジャーのワーナーと契約してリリースされたいわばコステロのリスタート盤。この時僕はちょうど大学の卒業旅行と称してロンドンにいたのだが、街のあちらこちらにこのジャケットのポスターが貼ってあって、コマーシャルな面でも随分プッシュされていたようだ。ポール・マッカートニーとの共作曲として話題になった『ヴェロニカ』はアップテンポのポップな曲でスマッシュ・ヒットを記録した。

荒々しく感情をぶつけるように制作されたインディペンデント・リリースの前作に比べれば、パッケージとしても随分ウェル・プロデュースされており、パブリシティの華やかさとも相まって僕としてはポップな印象の強いアルバムだが、改めて聴いてみればシングル曲以外は前々作にも通じるアメリカン・ルーツの影響が色濃い作品。一部の曲ではダーティ・ダズン・ブラス・バンドをフィーチャーし、腹の底に響くような鳴りを聴かせる。

プロデューサーは前々作と同じTボーン・バーネットと、この後コステロの多くのアルバムを手がけることになるケヴィン・キレン。ひとつ間違えば泥臭くなり過ぎるタイプの音楽だが、ひとつひとつ丁寧に音の面取りをしていて、メジャー・リリースのポップ・アルバムとして違和感なく聴ける「渋さ」の域に着地させている。良くも悪くもこの後のコステロの音楽はこのアメリカン・ルーツ路線が下敷きになって行く。水準を示した作品。


MIGHTY LIKE A ROSE (1991)
Mighty Like A Boy

★★★★☆
ケヴィン・キレンに加えミチェル・フルームをプロデューサーに迎えて制作(コステロ自身もプロデューサーとして名を連ねている)。シングルとなったアップテンポでポップな『ジ・アザー・サイド・オブ・サマー』で幕を開ける。基本的な路線としてはアメリカン・ルーツを基調とした前作を踏襲しており、引き続きジム・ケルトナー、マーク・リボー、ダーティ・ダズン・ブラス・バンドらを起用してハリウッドでレコーディングされた。

しかし、シングル曲以外はアーシーな色合いが濃かった前作に比べれば、本作では『オール・グロウン・アップ』『ハーピース・ビザール』などオーケストラを効果的に導入したゴージャスな曲や、『ハウ・トゥ・ビー・ダム』『ジョージー・アンド・ハー・ライバル』のようなポップなメロディと展開を持った曲も多く、アルバムとしてのカラフルさやメリハリという意味では前作以上にこなれたコマーシャルな作品に仕上がったと言えよう。

アメリカン・ルーツを基調としながら、そこにアーティスト独自の特徴あるソング・ライティングを展開し、結果としてポップなアルバムにまとめて行くという、ロックとしていわば王道の手法でひとつの高みに達した作品。僕自身としても社会人になって間もない時期に何度も繰り返し聴いたアルバムで、音楽的にコステロの素養の幅広さ、奥深さを感じさせて印象深い。この音楽的な広がりが次作の弦楽四重奏につながって行ったのか…。


THE JULIET LETTERS (1993)
The Juliet Letters

★☆
「イギリスの室内楽シーンを代表する弦楽四重奏団」、ブロドスキー・カルテットともに制作したアルバム。プロデューサーはケヴィン・キレン。当然といえば当然だが最初から最後まで弦楽四重奏とコステロの声以外の音は聞こえない。一部にインストを含むが基本的には弦楽四重奏をバックにコステロが歌うというスタイル。何曲かはブロードスキー・カルテットのメンバーが作曲している。正直ロック方面の人間にはよく分からない作品。

いや、僕も買ってはみたし、聴いてもみたのだ。今回、このレビューを書くにあたってCDを引っ張り出し、何回も聴き直してみた。どんなアレンジを施されていても、きちんと耳を傾ければ楽曲の持つ本来のメロディの力は伝わってくるはずだと思って懸命に聴いてみた。だが、ダメだ。決定的に退屈。曲の区別がつかない。どんな材料も同じ味にしてしまう濃い味のタレのように、どこまで行っても同じ音しか聞こえてこない。20曲は苦痛だ。

もちろん、こういうのが好きな人もいるのだろう。きっと音楽的には何か見るべきものがあるのだろう。クラシックにまったく造詣のない僕の耳の方が貧しいのだろう。コステロという人は時折こういうことをやってリスナーを困らせる人なのだから仕方がない。だが、そういうふうに何らかの修練とか資質がなければよさが分からない音楽は閉じた音楽であり、少なくともロックの名には値しないと僕は思う。おそらくもう聴き返さない作品。


BRUTAL YOUTH (1994)
Brutal Youth

★★★☆
ミチェル・フルームのプロデュースによる作品。前作の反動か、初期の作品を思わせる荒々しくエッジの効いたロックンロールを聴かせる。それもそのはずで、ここでの演奏はドラムがピート・トーマス、キーボードがスティーヴ・ナイーヴ、そしてベースにブルース・トーマスというアトラクションズの面々が担当。もっとも、ブルース・トーマスは5曲のみの参加にとどまっており、残りの曲ではあのニック・ロウがベースを担当している。

サウンド・プロダクションはミチェル・フルームのテイストなのか、基本的にはざらついたライブ感のある仕上がりになっており、アメリカン・ルーツをたどる旅を経験した後の作品であることを印象づける。何曲かは耳に残るキャッチーなフックを持っているが、コマーシャルなファイナライズ処理はおそらく意図的に排除され、コステロのボーカルも含めた「近さ」重視のコンセプトか。アルバム全体としては必ずしもポップとは言い難い。

特に後半に行くに従って曲想が地味になって失速感は免れないと感じてしまうのは、僕がいつも最初から聴き始めて途中で集中力が切れるからか。このアルバム・リリース後のツアーでコステロはアトラクションズを率いて来日、僕は当時住んでいた大阪から名古屋まで出かけてライブを見たが、あのときアトラクションズを見ておいてよかったと思う。コステロとの不仲が取り沙汰されたブルース・トーマスはこの後事実上バンドを脱退する。


KOJAK VARIETY (1995)
Kojak Variety

★★★★
1981年のカントリー・カバー・アルバム「Almost Blue」以来14年ぶりになる全編カバーのアルバム。プロデューサーはケヴィン・キレン、ミュージシャンはジェームス・バートン、マーク・リボー、ジム・ケルトナーら、アルバム「King Of America」を製作したコンフェデレイツの面々(但しアトラクションズのピート・トーマスが数曲でドラムを担当)。このメンバーから想像される通りオーソドックスなロックンロールが堪能できる。

カバーされている曲はボブ・ディラン、ランディ・ニューマンからモータウン、リトル・リチャード、アレサ・フランクリン、レイ・デイヴィスらの作品であるが、有名なアーティストの曲であってもほとんどは一般に知られていないもので、コステロの音楽ファン、レコード・コレクターぶりが遺憾なく発揮されている。そのことは単に選曲だけでなく、コステロ自身の手による詳細なライナー・ノーツからも、十分窺い知ることができる。

コステロのキャリアを語る上では次作とともに抜け落ちがちな作品であり、今回のレビューも僕自身こうした作品を「再発見」するために手をつけた面があるのだが、レビューのために繰り返し聴けば聴くほどこのアルバムの深みにはまって行く。オリジナルはほぼどれも聴いたことがないが、おそらくそれには関係なく、どの曲も恐ろしいほどコステロのものになっている。ライナーで予告した「Volume Two」もいつか出して欲しいと思う。


ALL THIS USELESS BEAUTY (1996)
All This Useless Beauty

★★★☆
エルヴィス・コステロ&ジ・アトラクションズの名義で発表された現在のところ最後のアルバム。前作と対をなすべくコステロが他のアーティストに提供した曲を自らカバーした作品だと喧伝されたため、僕の頭の中では完全に企画盤だが、実際にはオリジナルの方が多く純然たるオリジナル・アルバムと考えた方がいい。プロデューサーはジョン・ジェイコブスとかつてアルバム「Imperial Bedroom」をプロデュースしたジェフ・エメリック。

確かに、「Imperial Bedroom」の頃のようなメロウでポップな曲も多いようにも思われる。ワーナー移籍後のメイン路線であったアメリカン・ルーツをベースにしたダウン・トゥ・ジ・アースなトラディショナル・ロックとも、直情一発のロックンロールとも異なる、いかにもブリティッシュ・ポップ的な、やや湿り気を帯びてひねりを効かせた曲調の作品が多いのが特徴だろう。「シャロウ・グレイヴ」はポール・マッカートニーとの共作だ。

このアルバムでは終盤、フォーク・ロック調の佳曲「ユー・バウド・ダウン」から、コステロには珍しくドラム・ループを使った「イッツ・タイム」、そしてブロドスキー・カルテットを起用したバラード「アイ・ウォント・トゥ・ヴァニッシュ」への流れが素晴らしい。驚くようなイノベーションが何かある訳ではなく、忘れられがちなアルバムだが、コステロ独特のアイロニカルなポップ・センスが久々に発揮された軽妙な作品と言えよう。


PAINTED FROM MEMORY (1998)
Painted From Memory

★★★★
バート・バカラックとの共作。正直言ってバカラックという人のことはよく知らない。いや、もちろん有名な作曲家だから名前くらいは知っているし、たぶん彼が手がけた作品もどこかで知らずに聴いているはずだと思うのだが、これまで意識して彼の音楽をきちんと聴いたことはない。ただ、印象とか風評とかからすれば、どちらかといえばお洒落で軽妙なAOR的音楽が身上の作曲家であり、コステロのスタイルと合うかどうかは懸念された。

アメリカン・ルーツ指向を強めるコステロのエモーショナルで泥臭いボーカルと、バカラックの流麗なメロディ、アレンジの食い合わせはどうよ、と思った訳だが、やってみるとコステロのボーカルの特徴を生かしながらバカラック的な洒脱さ、品のよさが際立つ上質のポップスに仕上がっており、単なる共演以上の化学反応が起こって新しい付加価値が生まれていると言っていい。コラボレーションとしては成功していると評価できるだろう。

コステロのボーカルのこの存在感を自在に操ってスイスイとドライブして行くバカラックのメロディ、アレンジの妙はさすが。そういう意味ではバカラックの「支配率」の方が高いアルバムで、逆にコステロもそれを楽しんでいるように思える。きれいな水の中で気持ちよさそうに泳ぐ元気な金魚のようなものかもしれない。ロックは足りないがロックでなくてもいいと思わせる作品。今回レビューのために聴き返して素晴らしさを再認識した。


WHEN I WAS CRUEL (2002)
When I Was Cruel

★★★★☆
前作から4年のインターバルを経てリリースされた21世紀最初の作品。前作のレビューで書き忘れたが、コステロは前々作を最後にワーナーを離れ、ユニバーサルと新たに契約を結んだ。本作はユニバーサル傘下のアイランド・レーベルからリリースされている。コステロを中心とする4人のチーム、ジ・インポスター名義でのプロデュース。演奏はピート・トーマス、スティーブ・ナイーヴの他、ベースはデイヴィ・ファラハーが担当している。

要はブルース・トーマス抜きのアトラクションズであり、アルバム全体としては直情径行型。音像も敢えて荒れてザラついた感触のまま放り出された感があり、大半はコステロ自身によるものと思われる騒々しいギター、デイヴィ・ファラハーのブンブンうなるベースがこの4年間にため込んだコステロのエネルギーを一気に放出しているように思える。1986年のアルバム「ブラッド&チョコレート」を思わせるようなストレートな作品になった。

曲そのものの作りとしてはポップなものも少なくはないが、どの曲も荒々しくたたきつけるように演奏され、歌われる。しかしアルバムそのものは周到にプロデュースされており、コステロの気力が充実していたことを物語るようだ。アルバム未収録でシングル・ヒットした「スマイル」を中心にこのアルバムのアウト・テイクを集めたコンピレーション「クルーエル・スマイル」も同年にリリースされており、本作とセットで聴いておくべき。


NORTH (2003)
North

★★☆
あ〜、これは何というか、ジャズですね。というか、僕は了見が狭いのでジャズは聴かないのだが、たぶんこういうのがジャズなんだろう。CDをスタートするなり流れ出す流麗なストリングス。悪い予感がする。案の定、最初から最後までドラムはブラシをゴシゴシやり、スティーヴ・ナイーヴも得意の変態キーボードを封印して終始ロマンティックなピアノを弾いている。そこに乗っかるコステロの情感たっぷりのボーカル。実に暑苦しい…。

プロデューサーはあのブロドスキー・カルテットとの共作アルバムも手がけたケヴィン・キレン。おそらくコステロの中にあるさまざまな表現衝動のバランスを取る意味では必要な作品だったのだろう。コステロは2001年にはオペラ歌手アンネ・ゾフィ・フォン・オッターのアルバムもプロデュースしており、音楽的に精緻に構築された世界への興味、傾倒がこうした作品として結実したということかもしれない。そういうサイクルなんだろう。

買ったときに聴いたきり長い間CDラックから取り出したこともなかったが、今回、このレビューのために出してみて、まあ、思ってたほど悪くはなかった。少なくとも弦楽四重奏よりはまだ聴ける。というか、何かいい雰囲気の音楽を小さい音で流しておきたいときなどには使えると思った。何しろ他にそんなCDはほとんど持っていないので。コステロのファンとしてはつきあいの一環として一応持っているがふだんは聴かないというアルバム。


THE DELIVERY MAN (2004)
The Delivery Man

★★★★☆
アルバムの名義はエルヴィス・コステロ&ジ・インポスターズ。インポスターズはアトラクションズのメンバーのうちベースのブルース・トーマスの代わりにデイヴィ・ファラハーを加えたバンドで、要は前々作のレコーディング・メンバーである。プロデュースはコステロ自身と、モデスト・マウス、ハイヴスなどのプロデュースで知られるデニス・ヘリング。路線的には前々作を継承した荒々しいロック・オリエンテッドな作品と言えよう。

シンプルなバンド・サウンドを生かし、曲そのものに内在するエネルギーを効率よく推進力に変えて行くことができるのは、コステロのソング・ライティング、バンド・メンバーのプレイヤビリティ、プロフェッショナルなサウンド・プロダクションのいずれもが高いレベルで拮抗しているからに他ならず、並のアーティストではこういう血の滴るようなレアなアレンジメントは不可能だ。コステロの確かな音楽的地力がこれを可能にした訳だ。

アメリカのシンガー・ソングライターであるルシンダ・ウィリアムス、エミルー・ハリスを3曲でゲストに迎えているが、特にウィリアムスとデュエットする「ゼアズ・ア・ストーリー・イン・ユア・ヴォイス」はウィリアムスのボーカルの存在感が半端なく出色の仕上がり。後半に行くに従って曲調が重くなって行くのはいつものことで仕方ない部分もあるが、アメリカン・ルーツのロック的展開という意味ではひとつのエポックになる作品。


RIVER IN REVERSE (2006)
River In Reverse

★★★★★
ニューオリンズR&Bの大物、アラン・トゥーサンとの共作アルバム。ニューオリンズは2005年のハリケーンで大きな被害を受けたが、そのベネフィット・コンサートで意気投合したとウィキには書かれている。プロデューサーはジョー・ヘンリー。バンドは前作に続きジ・インポスターズをメインに、クレセント・シティ・ホーンズをブラス・セクションとして迎えている。実際、ブラス・セクション抜きにこの作品のサウンドは考えられない。

収録曲の過半はトゥーサンの既発表曲らしいが、知らずに聴くとあまりの完成度の高さに圧倒される。サウンドとしては低音の効いたブラス・セクションをフィーチャーしたオーソドックスなR&Bであるが、曲というのはこうして書くのだと言わんばかりのタメとドラマティックな展開、下腹に響くうねりのようなベース、トゥーサン自身によると思われる緩急自在のピアノ。それらが音楽として渾然一体になっているところがもはや感動的だ。

コステロ単独の作曲は1曲だけであり、純粋なコステロのオリジナル・アルバムとは言い難いかもしれないが、ボーカルは君に任せるよとでも言われたのか、トゥーサンの名曲を好きなように歌いまくるコステロはもはや高級カラオケ状態。カバーをやっても結局のところ自分の音楽として流通させてしまうコステロだが、この作品ではコステロとトゥーサンの存在感がガッチリ噛み合っている。とにかくカッコいい。もう最高点つけちゃうぞ。


MOMOFUKU (2008)
Momofuku

★★★★☆
再びエルヴィス・コステロ&ジ・インポスターズの名義で発表されたオリジナル・アルバム。タイトルはチキンラーメンの開発者でインスタント・ラーメンの祖と言われる日本の安藤百福にちなんだもので、コステロによれば「インスタント・ラーメンのようにお湯をかけたら出来上がりの即席アルバム」ということらしい。言われてみればなるほど、手数をかけずスピードとノリ、勢いで仕上げてしまったようなダイナミックな臨場感がある。

僕のようにロックンロール直情オヤジとしてのコステロを最も評価する立場からすれば、本作のナマっぽい手触りは何より嬉しい。だが、このアルバムを支えているのはもちろんコステロのソングライティングの確かさだ。プロデュースはコステロと、マーズ・ヴォルタなどを手がけたジェイソン・レイダー。ガレージっぽい荒れたサウンド・プロダクションや歪んだギターでワイルドさを見せながらも、要所ではポイントを押さえた音作りだ。

スティーヴ・ナイーヴのヘロヘロのオルガンなんかを聴いていると、まるで初期から中期のアトラクションズそのまま。だが、全体としての曲想の豊かさ、展開力の力強さを見れば、このバンドが(ベーシストは代わったが)何十年かの間にしっかり成長しているのだということが分かる。聴き流すもよし、聴き込むもよし、即席ではあってもリスナーを音楽の中へと引きずり込む力は当然規格外。A2の始まり方だけで理性はどこかに吹っ飛ぶ。


SECRET, PROFANE & SUGARCANE (2009)
Secret, Peofane & Sugarcane

★★★☆
前作から短いインターバルでリリースされた作品。プロデュースは1989年のアルバム「Spike」以来となるTボーン・バーネットで、レコーディングはナッシュビルで行われた。音楽的にはフィドル、マンドリン、バンジョーなどをフィーチャーしたカントリー、ブルー・グラスなどのアメリカン・ルーツ・ミュージックであり、1986年に同じくTボーン・バーネットのプロデュースでリリースした「King Of America」の続編ともいうべき作品だ。

だが、「King Of America」がそれまでのポップ・ロック路線に決別しバンドも入れ替えて制作された、当時のコステロとしては異色の作品であり、そのためにアルバム全体にある種の「勝負感」ともいうべきテンションがみなぎっていたのに比べると、この作品ではコステロ自身がリラックスして、自分の好きな音楽を好きなように作っている印象を受ける。音楽的にはよくこなれており、カントリーに造詣がなくても楽しんで聴けるだろう。

コステロのカントリーに対する愛情がベースにあるので、制作意図が上滑りすることなく、作品としての評価もおしなべて高いようだ。問題はこのアルバムがロックの「現在」にどうコミットするかということであり、その点ではレイド・バックした感は免れない部分もある。かろうじてこの作品をロックの現在地とつないでいるのは、コステロの確かなソング・ライティングと、この聞き違いようのない声の力だろう。嫌いじゃない作品だが。


NATIONAL RANSOM (2010)
National Ransom

★★★★
再び前作から短いインターバルでリリースされた作品。プロデューサーは前作と同じTボーン・バーネット、またレコーディングもナッシュビルで行われるなど、基本的に前作の路線を継承したアルバムと言うことができるだろう。だが、この作品では、前作に携わったミュージシャンに加え、曲によってはピート・トーマス、スティーヴ・ナイーヴ、デイヴィ・ファラハーといったジ・インポスターズのメンバーが参加しているのが目を引く。

その結果、このアルバムは前作と同様にカントリーをベースとしつつ、ビートを強調したロック色の強い曲や、フォーク調のギター弾き語りまで、ややレンジの広い仕上がりとなった。コステロ自身が自分の最もやりたい音楽を気心の知れた仲間と好きなように演奏していることが感じられる一方、商品として流通することも当然意識したプロダクションで、作品としての完成度も備えており、前作よりバランスの整った大人の作品と言えよう。

とはいえ全体にレイド・バックした感があるのもまた前作と同様で、現役感の源はもはや音楽性そのものであるよりコステロの自由さであり、半ばジャンキーの域に達しているようにも思える「とにかくどんな形であれ音楽をやっていないと死んでしまう」みたいなアーティストの姿勢そのものとしての切迫性にあるのは明らか。まあ、だからこそ彼の出すアルバムは取り敢えず何でも買ってみるというファンがたくさんいるのかもしれないが。



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