logo フリッパーズ・ギター


海へ行くつもりじゃなかった (1989)
Three Cheers For Our Side

★★★☆
オレンジ・ジュースの曲名から取られた英文タイトルの「Three Cheers For Our Side」は「僕らのもったいぶりに万歳」。アノラックからパステルズ・バッヂをはずせ、だの、ヘアドレッサーは男の子じゃなくちゃいけない、だの、高い山ではまだ激しく雨が降っている、だの、下手くそな英語で次から次へと歌われるネオアコ・オマージュ。アズテック・カメラ、キング・オブ・ルクセンブルグ、ジョセフK、ペイル・ファウンテンズ…。サロン・ミュージックの吉田仁がプロデュースしたデビュー・アルバムがこれである。

もちろんこれがただの学園祭のお楽しみ的バンドなら彼らのブレイクはなかった。自らの特権的な趣味性に自閉した内輪受けなら小沢健二もコーネリアスも日本のロック史に名前を残すことはなかったはずだ。このアルバムが、それ自体は他愛のないネオアコ・オマージュであっても、結果としてその先につながる音楽的冒険への扉となり得たのは、ひとつには小沢と小山田の非凡なソング・ライティングによるものであり、さらには彼らの選曲家としての確かなコラージュ・センスと、そして深い愛情によるものに違いない。

ここで彼らはまるで好きな女の子に秘密のコレクションをひとつひとつ説明する少年のように、瞳をキラキラさせながらかけがえのない時間を歌い尽くしている。往々にしてそれを聴く女の子は彼の秘密のコレクションのことなんか全然興味はないのだが、ただ、彼の嬉しそうな口調とか、熱を帯びてテーブルの上に乗り出す細い腕とか、そういうひとつひとつに目を奪われているのだ。これはそういうアルバムであり、我が国において不遇だったギター・ポップが日の目を見るきっかけにもなった愛すべきピース・オブ・ラブ。


カメラ・トーク (1990)
Camera Talk

★★★★★
前作に続き吉田仁のプロデュースによるセカンド・アルバム。全曲英語だった前作に対し、本作では全曲日本語詞(インスト2曲を除く)。本作からフリッパーズ・ギターは小沢健二と小山田圭吾の二人組になり、無邪気なネオアコ・オマージュだった前作から、より自覚的、戦略的なポップ・イコンへと進化を遂げた。ネオアコ・イディオムからの借用、剽窃はより明確な意図の元に行われるようになり、自分たちがそこにつながる存在であることと、それを80年代後半に敢えてリピートすることの意味を明らかにしている。

そうしたネオアコ・イディオムの出典をいちいち数え上げることはしないが(そんな本はいくらでも出ているだろう)、例えば「僕らは古い墓を暴く夜の間に」とか「この気持ちこれ以上何が言える?どう言えるだろう?」とかいった、あまりに感じやすくそれ故に反語や冷笑でしか語ることのできない言葉がこのアルバムにおける彼らの真摯さと愛情の証だと僕は思う。自らにとって最も大切なものを消費することで彼らは今までだれも作ることのなかったアナーキーな青春のロマンチシズムを1枚のアルバムに閉じこめたのだ。

小沢健二と小山田圭吾という得難い二人の才能が出会い、作り上げた最も幸福な時期の最も幸福なアルバムがこれであり、ここでの二人のビジョンは恐ろしいほど一致している。繰り返し歌われる「遠くまで見える」感覚。研ぎ澄まされ、どんなごまかしやインチキも一瞬で看破してしまう痛いほど冷ややかな覚醒。どんな男の子もある一時期だけ持ち得るそんな特権的な視線を日本で最初に焼きつけたアルバムだと言っていいだろう。「分かりあえやしないってことだけを分かりあう」、その営為に彼らは名前をつけて見せた。


ヘッド博士の世界塔 (1991)
Doctor Head's World Tower

★★★★☆
サード・アルバムにして結果的にラスト・アルバムとなった。当時イギリスで盛り上がっていたハウスに大きな影響を受け、全編サンプリングで作り上げた問題作である。相変わらずビーチ・ボーイズからマイ・ブラディ・バレンタイン、プライマル・スクリームまでを拝借して来てしまう臆面のなさは清々しいが、それに比例して歌詞の覚醒感も飛躍的にレベル・アップしており、確かにここまで来たらあとはもう解散するしかなかったのかなとも思わせる完成度の高さというかもう用意されたトラックは走りきった感じだ。

そう、ありとあらゆるものが恐ろしいスピードで消費されてしまう高度情報資本主義社会にあっては、それを上回るスピードで走ることだけが消費されないための唯一の方法だけど、それって100m走のスピードでマラソンを走り続けるようなものだから、どこかでこっちから一方的に「や〜めた」と言ってやるしかないのだ。考えてみれば小沢と小山田はこの「や〜めた」を言い出す時期についても完璧に同期していた訳だろう。コンテンポラリーなブリティッシュ・インディーズをモチーフにしながら彼らは終わりを探していた。

少しずつ死んでゆくことの認識。「言葉などもう無いだろう」と歌うこのアルバムで、彼らは明確にゲームの終わりを意識している。結局もうどこにもオリジナリティなんてものはない場所で、ただ既に提示されたものの順番とか組合せをやり替えることでどれだけ新しいビジョンを見せられるかというゲームの終わりだ。そこでやり尽くせることはやり尽くされて、もうフリッパーズを超えるそんな名付けのゲームの達人は出ないだろうというのがこのアルバムの結論だ。「そしてずっと前から 僕らここにいたのだと思う」。


その他のリリース

実質2年程度のメジャーでの活動にもかかわらず、オリジナル・アルバムでは聴けない曲がいくつか存在するので紹介しておこう。まずはファースト・シングルである「Friends Again」がアルバム未収録。それからサード・シングルの「Love Train」はカップリングの「Slide」ともどもアルバムには入っていない。

この他1990年12月にリリースされたオムニバス・アルバム「fab gear」収録の「Love Andd Dreams Are Back」と「Cloudy」もオリジナル・アルバム未収録だ。さらには90年9月には「Camera! Camera! Camera!」のマキシ・シングルがリリースされているが、このバージョンはアルバム収録のものとは異なるギター・ポップ・バージョン。以上がリミックスやライブを除いたスタジオ録音のオリジナル・アルバム未収録曲である。

しかし心配することはない、「colour me pop」というコンピがあればこれらのトラックはすべて収録されている。「Singles」というコンピもあってそっちにもこれらの曲は全部入ってるけど、「クールなスパイでぶっ飛ばせ」や「恋とマシンガン」のライブと「Big Bad Disco」(「Big Bad Bingo」のリミックス、但しショート・バージョン)が入っていたりするので「colour〜」の方がお勧め。



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