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Coyote Coyote

2007.6.13発売 DaisyMusic
POCE-9381 [デラックス盤] (2007.6.13)
POCE-3804 [通常盤] (2007.6.13)

PRODUCER :
佐野元春
CO-PRODUCER :
大井洋輔
ENGINEER :
伊藤隆文、渡辺省二郎

作詞・作曲 :
佐野元春
part 1
●星の下 路の上 Boy's Life
●荒地の何処かで Wasteland
●君が気高い孤独なら
 Sweet Soul Blue Beat
●折れた翼 Live On
●呼吸 On Your Side
●ラジオ・デイズ Radio Days

part 2
●Us Us
●夜空の果てまで Everydays
●壊れた振り子 Broken Pendulum
●世界は誰の為に Change
●コヨーテ、海へ Coyote
●黄金色の天使 Golden Angel

Bonus Track
●じぶんの詩(Moto Vocal Version)



前作から3年ぶりにリリースされた通算14枚目のオリジナル・アルバム。先行リリースされたEP「星の下 路の上」からタイトル曲を収録(ミックスは異なる)した他、「君が気高い孤独なら」はiTSでのダウンロード販売のみでシングル発売された。また、「世界は誰の為に」は深沼元昭、山口洋、藤井一彦とボーカルを分け合ったバージョンが佐野元春MusicUnited名義で同じくiTSにて先行ダウンロード発売されている。
初回限定盤には「君が気高い孤独なら」のビデオ・クリップやレコーディング風景などを収録したDVDが付属している。また、iTSでのダウンロード販売に限り、予約特典としてThe Whey-hey-hey Brothersに提供した「じぶんの詩」のセルフ・カバー・バージョンがダウンロードできた。尚、「ラジオ・デイズ」は金子マリに「最後のレイディオ・ショー」のタイトルで提供した曲。

本作のレコーディングはHKBとではなく、深沼元昭(g)、小松シゲル(dr)、高桑圭(b)を中心とするシンプルなバンド編成で行われた。音楽的なグルーヴを重視し、ミュージシャンのプレイアビリティと競い合うように楽曲全体の完成度を高めて行った前作「THE SUN」に比べれば、本作のサウンド・プロダクションはシンプルかつ抑制的である。「歌」への回帰が顕著なアルバムだと言っていいだろう。

佐野自身の説明によればこのアルバムは架空のキャラクターである「コヨーテ男」を主人公とした映画のサウンド・トラックとの設定である。不器用で自分に正直、法を逸脱することもあるが人の痛みが分かるので人に好かれると説明されるコヨーテ男が、荒地に見立てた現代社会を旅する中で出会う人たちのこと、出会うもののことを歌うロード・ムービーのサウンド・トラックなのだと佐野は繰り返しコメントしている。

本作で明らかなのは驚くほどの率直さ、無防備さである。ほとんどギミックがなく、正統なロックンロール、ポップ・ミュージックのオーソドックスなフォーマットを忠実に踏襲したアレンジはもちろん、「僕の苛立ち 僕の嘘 許してくれるかい」と歌う「折れた翼」、「どんな時も 僕は君の 味方だって思っていてくれ」と歌う「呼吸」などの歌詞にもレトリックを越えて直接聴き手に語りかけ、問いかける真っ直ぐな視線がある。

特に佐野のファンにとって印象的なのは、どこか「SOMEDAY」を思わせるラスト・ナンバーの「黄金色の天使」で歌われる「誰もがとまどいながら 大人になってゆく」というフレーズだろう。かつて「ガラスのジェネレーション」で「つまらない大人にはなりたくない」と歌った時から、「大人になる」ということは佐野にとって、またそのファンにとっても極めて重いテーマであったはずだ。ある時にはその重さゆえことさらに「ぼくは大人になった」と宣言して見せたこともあった佐野が、デビューから30年近くたった今、このフレーズをここまで率直に、悔恨や逡巡なく歌うことができたのはひとつの奇跡ですらあると僕は思う。

このアルバムの大きなテーマは前作に続いて「生き延びること」である。そしてそれは、アルバム全体のポップなイメージとは裏腹に多用される一見ネガティブな表現に集約されている。例えば「人の噂なんて あてにならない」(「荒地の何処かで」)、「もしも君が蒼い孤独なら 人の話などどうでもいい」(「君が気高い孤独なら」)、「あなたが誰であろうと かまっちゃいられないけど」(「世界は誰の為に」)など、このアルバムにはもはや他人がどうであろうと自分には関係がないというフレーズが頻出する。

あるいは、「真実が醜い幻ならば 僕らは何を信じればいいんだろう」(「荒地の何処かで」)、「あてのない夢 捨ててしまえ」(「コヨーテ、海へ」)、「今はもう戻れない あの日あの時の真実」(「黄金色の天使」)といった歌詞は、これまで佐野とそのファンが大切にしてきたはずの「真実」、「夢」といったタームを明確に否定しており、それは「本当の真実はもうない」と歌った「THE CIRCLE」を思い起こさせもする。

だが、それはもちろん佐野が厭世的なデタッチメントに引きこもろうとしていることを意味しない。あるいはもはやそこに、信じ、探し求めるに値するものを見出せなくなったということでもない。むしろそれは、他人の目に自分がどう映るかなどもはや気にする必要もないほど自分自身のサバイバルに対する意識が先鋭化していること、あるいはもはや「真実」や「夢」といった概念をすら必要としないほどそこに追い求めるべきものが明確になったことを示しているのではないかと僕は思うのだ。

「黄金色の天使」では「黄金色の天使を探し続けて」と歌われる。「黄金色の天使」という言葉自体は便宜的な記号であってそこに意味はない。極端な話をすれば、探し続ける対象はもはや「何であってもよい」のだ。それが「真実」である必要も「夢」である必要もない。自分が自分の生に立脚し、自分の来し方を何とか肯定しながら、ここから更に歩き続けて行こう、生き延びて行こうとするとき、そこに必要とされるものは既に自明であり、それを「真実」と呼ぶのか「夢」と呼ぶのか、あるいは取り敢えず「黄金色の天使」と名づけるのかはともかく、その「呼び方」にはもはや意味はない。むしろ、「真実」や「夢」といったタームが容易にドグマ化、スローガン化し得るリスクを考えるとき、そのようなドグマ化し干からびた、内実のない「真実」や「夢」は捨て去るべきだと、佐野は歌っているのではないだろうか。

そのような佐野の透徹した視線が、このアルバムを風通しのよい、率直なものにした。「星の下 路の上」「世界は誰の為に」といったロックンロール、「荒地の何処かで」「君が気高い孤独なら」「夜空の果てまで」「黄金色の天使」といったポップ・チューン、そして「折れた翼」「呼吸」「コヨーテ、海へ」のようなソウル・アンセム。ジョン・レノンの何枚かのソロ・アルバムのように、ハイ・テンションでありながらオープンで、ミニマルでありながらスケールの大きな作品。



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