logo 安アパートのディスコクイーン


■安アパートのディスコクイーン トレイシー・ソーン自伝
 Bedsit Disco Queen: How I grew up and tried to be a pop star
■トレイシー・ソーン Tracey Thorn (浅倉卓弥・訳)
■2013年
■Pヴァイン

ポップ・デュオ、エブリシング・バット・ザ・ガールのシンガーでありソングライターでもあるトレイシー・ソーンの自伝。EBTGといえばネオアコの祖と言われ、ポスト・パンクのUKシーンの中でも、ボサノバやジャズを大胆に取り入れ、ロックの陥りがちなマチズモを巧みに回避することでロック概念の拡幅を行ったインテリジェントで類例の見出せないユニークなユニットだが、そのフロントパーソンであるソーンらしい、洒脱で抑制の効いた文章が印象的な作品だ。

時期としては、彼女が思春期にパンクに目覚めるあたりから、EBTGでのデビュー、活動を経て、出産から活動停止、ソロとしての再デビューくらいまでをカバーしており、EBTGというバンドの成り立ちやそのバイオグラフィを跡づける最良の資料になっているが、それ以上に何より、1960年代前半にロンドン郊外の中産階級の家庭に生まれた少女がどのように世界を見ながら成長し大人になったかということを、まるで手に取れるように鮮やかに描き出したひとりの女性の生の記録として瑞々しく、また興味深い。

ソーンは初期にはアーティスト活動と並行してハル大学で英文学を専攻、(本書によれば首席で)卒業し、その後、EBTGとして一線で活躍しながらさらにロンドン大学で修士号も取得しているらしく、物書きとして達者なのはうなずける。少しばかり理屈っぽく、こじらせた文学少女やサブカル少女がいかにも書きそうな文章のタッチにうまく寄せてきている訳文も悪くない仕事だと思うが、その辺のニュアンスがどの程度原文と呼応しているのかは分かり得ないのが残念。

EBTGを初期から聴き続け、アルバムも揃えている僕としては、バンドの相棒であり私生活でものちに夫となったベン・ワットとの出会いから、彼らのデビューの経緯、音楽性を変化させながら何枚ものアルバムを制作しながら、売れた時期、落ち込んだ時期などを丁寧に振り返る部分が、実際のアルバムと連動して裏話的に楽しめた。僕たちが受け取る製品として小ぎれいにパッケージされたアルバムの背後に、アーティストの方ではそれぞれのアルバムごとに異なった「産みの苦しみ」があることが分かる。

さらには、小山田圭吾がこの本の帯に「パンク以降の英国音楽に興味のある方、全員必読!!」とアオリを寄せている通り、彼らの活動が同時期のUKシーンにどうフックしていたかということが分かるのも面白い。ポール・ウェラーやザ・スミスとの交流、パンクからポスト・パンク、その後のブリット・ポップを経て、次第にハウスやドラムンベースなどのエレクトロニックな領域にアプローチして行く彼らの動きを追うことは、その背後にあるUKの音楽状況そのものも浮き彫りにして行く。

彼らが、ポスト・パンクの文脈から出発しながら、西海岸でメジャー仕様のレコーディングを経験し(トミー・リピューマとともにアルバム「ランゲージ・オブ・ライフ」を制作するくだりは非常に興味深い)、そこから改めてクラブ・シーンに接近しドラムンベースという方法論を手に入れる流れは、音楽的には「変節」とも捉えられかねず、実際そう揶揄もされてきたが、これを読むとそれらが彼らにとって必然性を伴った「成長」であったことも分かるし、それを知った上であらためてアルバムを聴くのも面白い。

結構な分量だがそれを一気に読ませるだけの筆力は、もちろん書かれた内容あってのこととはいえ達者なもの。それを裏打ちしているのは、ソーン自身の世界に対する透徹した眼差しと、あらゆるものをフェアに、あるがままに受け入れようとする真摯な態度、そして自分自身という最も難しい対象に、おそらくは痛みを伴う部分にもきちんと切りこんで、美化することも過度に謙遜することもなく観照してみる誠実さによるものである。本書のすべての説得力の源はおおむねこの三つに集約できるだろう。

ビートルズへの言及も興味深かった。

彼は言った。
「アビー・ロードか。ビートルズの家じゃんか」
「バカ言わないで。私ビートルズなんて大っ嫌いよ」
すかさず私はそう答えていた。すると場がたちまち固まったような沈黙に包まれた。
「ビートルズが、だ、大ッ、嫌いだって?」
(中略)しかしこの私はローリング・ストーンズをバカにしたり、あるいはボブ・マーリーをクソ呼ばわりしたりする以上に面白いことなど、この世界にあるはずもないと思っているような人々の間で成長してきた人間なのだ。

パンクをもろに同時代の当事者として通過してきた彼女にすれば、ビートルズやストーンズというのは否定すべきアンシャン・レジュームの代名詞だということなのだろう。

この感覚は、遠い極東の島国で、しかも遅れて追体験的にピストルズを聴いたインドア・パンクには共有しにくい。僕にとってはビートルズもピストルズもムーブメントであるよりは音楽であり、その間にはムジナとタヌキほどの違いすらないように思われるからだ。ピストルズのグレン・マトロックがバンドを脱退するときの説明が「ビートルズのファンクラブに入っていることが発覚したため」だったというエピソードもそういう文脈で理解されるものなのだろう(もちろん実際にはシド・ヴィシャスにベーシストのポジションを空けるためだった)。「やっぱそうなんだ」的発見だった。

あと、やはり彼女が、男性社会である音楽業界で、ただの歌姫(ディーヴァ、この語を彼女は頻繁に持ち出している)ではない、自意識と知性を持ったひとりの女性として居場所を確保し自らを守るために闘わざるを得なかった過程についても触れられている。いささか特殊な業界の特殊な事例ではあるが、ひとりひとりの女性が働く人間として自分の存在を認めさせながら、それを通じて女性全体の地位を底上げして行くことにそれぞれの持ち場で寄与する、そのひとつのテキストとして本書を読むことも可能だ。

EBTGの作品の、僕にとってのベスト・トラックは、彼らがザ・ジャムのトリビュート・アルバムに提供した『English Rose』だ。この曲はポール・ウェラーの作品だが、それをまったく自分たちのものにし、原曲の美しいメロディーや空気感を損なうことなく、逆にそこに原曲を超えた自分たち独自の緊張感や情感を加えることに成功した、カバーのお手本のようなトラックである。彼らにはこうした優れたカバーが多いが、それは取りも直さず彼らが非常に的確な批評眼と確実な表現力を併せ持ったアーティストであることの証左である。

そしてまた、それはソーンの、少女性にも母性にも依拠せず自分がだた自分であることだけに信頼した、クールでありながら喚起力の豊かなアルト・ボイスに負うところも大きい。本書は、そのようなソーンの知性が、あの特徴的な声で語られる、魅力的で時間を割いて読むに値するテキストだ。



Copyright Reserved
2019 Silverboy & Co.
e-Mail address : silverboy@silverboy.com