#私を構成する9枚(洋楽編)
2016年に「#私を構成する9枚」というタグがツイッターやインスタグラムで流行ったときに乗っかって僕も選んでみた。その時にはラインアップだけをツイートして、それぞれのアルバムには短評を付しただけだったので、この2020年の新型コロナウィルス対応の外出自粛環境の中、もうちょっとまともなレビューを付けようと思う。
「私を構成する」という以上、単に「好きなアルバム」「オールタイム・ベスト」というだけでなく、そこから強い影響を受け、その後の音楽の聴き方とか何ならものの考え方を一部なりとも決定づけたアルバムという観点から選んだので、必然的に10代から20代に聴いた作品が中心になっている。
したがって、このレビューもアルバムそのものの評論というよりは、僕自身がそのアルバムをどう聴いたかというストーリーみたいなものだと思ってもらった方がいいかもしれない。9枚に絞りきれず、洋楽編、邦楽編に分けて掲載することになるが、まずは洋楽から行こう。
LIVE!
Bob Marley And The Wailers
Island
1975
■ Trenchtown Rock
■ Burnin' And Lootin'
■ Them Belly Full (But We Hungry)
■ Lively Up Yurself
■ No Woman No Cry
■ I Shot The Sheriff
■ Get Up, Stand Up
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僕は高校を卒業するまでほぼずっと邦楽を聴いていて、洋楽のアルバムは一枚たりとも持っていなかった。別に毛嫌いしていた訳ではなく、何から聴けばいいのかさっぱり見当がつかなかっただけのことなのだが、大学に入ってレコード屋でアルバイトを始め、そこで先輩にいろいろな音楽を教えてもらい、店にあるレコードを客の少ない平日に店内で流したりして、自分の中でロックの「見取り図」みたいなものができあがって行ったのだ。
その中にレゲエ好きの先輩が一人いて、彼が「買うんやったらこれやで」と推してくれたのがこのアルバムであり、素直だった僕は「分かりました」くらいの勢いで買った。初めて買った洋楽のアルバムだ。最初にこれを聴いたことで受け入れることのできる音楽の範囲は確実に広がったと思う。実際、この後に本格的なレゲエのアルバムは買ってないのだが、これがなければスペシャルズもミュート・ビートも耳に入らなかったかもしれない。
ここにあるのは抵抗の音楽であり異議申立のステートメントである。言葉とメロディとビートの組み合わせが、人の心を打ち、動かし、いても立ってもいられなくさせる、その切実さ、その代えの利かなさがこのアルバムを特別なものにしている。ロックというものがどこから来たか、その一端を明らかにする歴史的な作品だ。とりわけ『No Woman No Cry』が始まるときの湧き上がるような喝采には鳥肌が立つ。字義通りの意味でのゴスペル。
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HIGH LAND, HARD RAIN
Aztec Camera
Rough Trade
1983
■ Oblivious
■ The Boy Wonders
■ Walk Out To Winter
■ The Bugle Sounds Again
■ We Could Send Letters
■ Pillar To Post
■ Release
■ Lost Outside The Tunnel
■ Back On Board
■ Down The Dip
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ネオアコというのは我が国だけの括りだということはもちろん承知しているが、それでもこの「ネオアコ」という言葉が表象しているひとつの概念みたいなものは他の言葉ではちょっと表し難い絶妙さがあると思っている。ピストルズに乗り遅れ、このアルバムもセカンドの「KNIFE」から遡って聴いたと思うが、僕たちがネオアコと聞いて思い浮かべる痛痒いような面映ゆいような気恥しいような感覚は全部ここに入っていると言っていい。
パンクは、因襲化、産業化、様式化した既存のロックに唾を吐いたが、それもまた大人の仕組んだムリ筋のモンキービジネスだったことが明らかになった後、誠実なアーティストたちがそれでも自分たちの拠って立つ足場のようなものを音楽の中に探した結果が、アコースティック・ギターの鳴りを根拠にした「歌」「メロディ」への回帰だったのは必然だったと思う。それを僕たちが勝手にネオ・アコースティックと呼ぶのならそれでいい。
こうした音楽は、ヒットチャートで流れるポップスに飽き足らず、しかし「ツェッペリンを知らずにロックを語るな」的なロック観からも疎外されていた、都市環境で暮らす我が国の少年少女たちの一部にもまた必然的にフィットした。「冬へと歩き出そう。僕はそこにいると約束する。冷たい空気が君をシャキッとさせる」。このラインが、ネオアコというものに僕が感じる「若さ故の過剰な潔癖さ」みたいなものをすべて言い表している。
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LOVELESS
My Bloody Valentine
Creation
1991
■ Only Shallow
■ Loomer
■ Touched
■ To Here Knows When
■ When You Sleep
■ I Only Said
■ Come In Alone
■ Sometimes
■ Blown A Wish
■ What You Want
■ Soon
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シューゲイザーと呼ばれる音楽がある。ギターの分厚いフィードバック・ノイズが壊れた蒸気機関みたいにプシューとかピーとか鳴る背後で、まるで彼岸からの呼び声みたいな甘いメロディが聞こえてくるというスタイルの一群のバンドをまとめてこう呼ぶのであるが、その特集の冒頭にはいつでもこのバンドのこのアルバムが掲載されている。シューゲイザーの一丁目一番地ともいうべき歴史的名作でありクリエーションを倒産させた問題作。
しかし、このアルバムを聴けば、それが他の「シューゲイザー」たちとおよそ何も似ていないことに気づくだろう。彼らの後にシューゲイズと称されるバンドはいくつかあったが、マイ・ブラディ・ヴァレンタインを受け継いだというバンドはおろか、彼らに似ているバンドすら僕は見出すことができない。誰も彼らのようにギターを鳴らすことはできなかったし、それに似せることすらできなかった。進化の行き止まりのような作品なのだ。
ロックはこのようであり得る、ロックはこのようであってよい、という意味では実験的な作品だが、ケヴィン・シールズは別に実験をしていた訳ではないし、すごいのはこれが何か音楽としてちゃんと成立していて、繰り返し聴くに足る作品に仕上がっていること。孤高という言葉は彼らの、このアルバムにこそふさわしいし、リリースから30年近く経った今でもこの地点を越えた者はおろか、ここに近づいた者すらいない、未踏の水準点だ。
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RAIN DOGS
Tom Waits
Island
1985
■ Singapore
■ Clap Hands
■ Cemetery Polka
■ Jockey Full Of Bourbon
■ Tango Till They're Sore
■ Big Black Mariah
■ Diamonds And Gold
■ Hang Down Your Head
■ Time
■ Rain Dogs
■ Midtown
■ 9th & Hennepin
■ Gun Street Girl
■ Union Square
■ Blind Love
■ Walking Spanish
■ Downtown Train
■ Bride Of Rain Dogs
■ Anywhere I Lay My Head
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20歳前に、「SWITCH」という雑誌でトム・ウェイツが特集されていたのを読んで訳も分からないままカッコつけて買ったアルバム。ボブ・マーリーもそうだが、洋楽の中でもこの辺がオレの主戦場という「好み」が形成される前にこれを聴いたのは大きかった。UKポストパンク系が主体の僕のCD棚の中ではトム・ウェイツは今でもかなり異端に属するし、そういう耳が先にできあがってしまってからではちょっと受け付けなかったかもしれない。
どう聴いてもチューニングがズレているとしか思えない伴奏や何だかよく分からない楽器の音やらもたいがいアレだが、何より「ノド痛くないスか?」と心配してしまうくらいひどいしゃがれ声でがなり立てるボーカルにショックを受けた。自分の中でも「コワい系」の音楽として違う引き出しに入れてたが、気になってたまに引き出し開けて聴いてるうちにハマった感じ。コワそうだったおじさんも慣れると全然悪い人じゃなかったみたいな。
もちろん今となってはこのアルバムがむやみにコワいだけのナゾの音楽などではなく、この時に彼が最も歌いたかったことを、いささか実験的な部分はあるにせよ率直に表現してみた彼のマニフェストであり、それぞれの曲が都市風景の中に彼が見出そうとしたリアルでありながらロマンチックな夢のひとつひとつであることも分かる。このアルバムを制作した時のトム・ウェイツが今の僕よりはるかに若かったことに気づいて歳月を知る思い。
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OUR FAVOURITE SHOP
The Style Council
Polydor
1985
■ Homebreakers
■ All Gone Away
■ Come To Milton Keynes
■ Internationalists
■ A Stone Throw Away
■ The Stand Up Comics Instructions
■ Boy Who Cried Wolf
■ A Man Of Great Promise
■ Down In The Seine
■ The Lodgers
■ Luck
■ With Everything To Loose
■ Our Favourite Shop
■ Walls Come Tumbling Down
■ Shout To The Top
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僕が初めてスタイル・カウンシルのレコードを聴いたときのことを思い出そうとしているのだがうまく行かない。ファースト「Café Bleu」を難波の輸入盤屋で(トム・ウェイツの「Rain Dogs」と一緒に)買ったのは覚えてるのだが、それがこのアルバムを聴いた後だったか先だったか思い出せないのだ。確かなのは、僕がザ・ジャムを知らずにスタカンを聴いたことと、このアルバムが今でも音楽を聴くときの基準になっているということ。
ザ・ジャムはスタカンから遡って聴き、カッコよさにシビれて、その後のソロまでウェラーを熱心にフォローするようになった。しかし入口はあくまで彼が3ピースのビート・バンドに限界を感じて新たに結成したこのユニット。中でもジャズやソウルの豊かな文脈をその内に取りこみながらも、ロックとしてのダイナミズムを削ぐことなく、ポップ表現の領域を押し広げたこの作品は、曲折を経ながらもウェラーの活動の基点となったはずだ。
ウェラーがこのユニットに付けた名前は「スタイル評議会」。ビート・バンドとしての自縛を解き、さまざまなスタイルを取り入れて自分のアーティスト・エゴを表現することが当時のウェラーには必要だった。この時期の作品はシングルやそのカップリングも含めて聴くべき曲が多い。タイトルの通りジャケットは彼らのお気に入りのアイテムを所狭しと並べた雑貨屋。ワルシャワでロケした『Walls Come Tumbling Down』のMVが素晴らしい。
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A WIZARD, A TRUE STAR
Todd Rundgren
Bearsville
1973
■ International Feel
■ Never Never Land
■ Tic Tic Tic, It Wears Off
■ You Need Your Head
■ Rock And Roll Pussy
■ Dogfight Giggle
■ You Don't Have To Camp Around
■ Flamingo
■ Zen Archer
■ Just Another Onionhead / Da Da Dali
■ When The Shit Hits The Fan / Sunset Blvd.
■ Le Feel Internacionale
■ Sometimes I Don't Know What To Feel
■ Does Anybody Love You?
■ Medley:I'm So Proud
Ohh Baby Baby
La La Means I Love You
Cool Jerk
■ Hungry For Love
■ I Don't Want To Tie You Down
■ Is It My Name?
■ Just One Victory
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大学生のころ、トッド・ラングレンというアーティストがいいらしいという話をどこかで聴いてレコードを探し回っていた時期があった。ネットのない時代であったので、雑誌などのわずかな情報をもとに中古盤屋を丹念に当たるくらいしか方法がなく、必死で探してもなかなか見つからない。この盤は当時のガールフレンドがミニコミ紙かなんかの読者プレゼントで引き当てたもの。こんなものをプレゼントするミニコミ紙もいかがなものか。
ようやく手に入れて聴いてみたが、正直分からなすぎ。評価は高いはずなのにそれが理解できないオレがおかしいのか。1分、2分の短い曲の断片みたいなものが次から次へと流れ出し、昔の単音シンセのナゾの電子音や効果音がガンガンブッ込まれて、僕らが慣れ親しんだ3分や4分の、イントロがあってサビがあってみたいな分かりやすいポップ・ソングは1曲たりともなくそれがずっとつながってる。「意識の奔流を音にした」てマジかそれ。
その後、彼の旧譜がまとめて再発され、毎月買い集めてようやくこれが彼の作品の中でもちょっと特異なドラッグ・アルバムだったことが分かった。だがその頃にはもう、この意識の奔流の中に埋め込まれた美しいメロディとかポップなフレーズとかの断片みたいなものにやられてしまっていた。敢えて言えばビートルズのホワイト・アルバムをギュッと圧縮したような感じ。ちなみにアナログ盤はガールフレンドと別れた時そのままもらった。
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THIS YEARS MODEL
Elvis Costello & The Attractions
Radar
1978
■ No Action
■ This Year's Girl
■ The Beat
■ Pump It Up
■ Little Triggers
■ You Belong To Me
■ Hand In Hand
■ (I Don't Want To Go To) Chelsea
■ Lip Service
■ Living In Paradise
■ Lipsick Vogue
■ Night Rally
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エルヴィス・コステロはええぞと誰かに吹きこまれ輸入盤屋に行ったらいろいろあったので目についたのを買ったのがこのアルバム。トッド・ラングレンと違って普通に売ってた。誰に吹きこまれたかは忘れた。ガールフレンドに自慢したら彼女はこれとは違うアルバムを何枚か持っていて負けたと思った。二人で分担して旧譜を買い集めたが、別れる時に難しい話になるのでそういうのはやめた方がいいというのを学んだのは後になってから。
流れ的にはパンク後期からポスト・パンクあたりに位置づけられるが、パンク的な直接的なアプローチは窺わせながらも、その音楽の実体はよりビートルズなどのイギリスのポピュラー音楽を正統な継承者に近い。長いつきあいとなるバンド、アトラクションズと出会い彼らのサポートで作り上げたこのアルバムは、シンプルでオーソドックスだがその分彼らの演奏力、構想力がしっかり試され、結果として骨太で手ごたえのある作品になった。
何よりまずソングライティングがいい。この人が長い間ずっと最前線で作品を発表してこられたのは、その作曲能力の高さがあったからこそ。それから、今に至るも衰えを知らない特徴的な声、ボーカルもこのころから変わってない。バンドとのコンビネーションもいい。出し惜しみは一切なく、長くても4分に満たないポップで印象的な曲を次から次へと繰り出してくるのは自信の表れか。先を急ぐように突っかかってくる前のめり感がいい。
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THE SPACIALS
The Specials
2Tone
1979
■ A Message To You Rudy
■ Do The Dog
■ It's Up To You
■ Nite Klub
■ Doesn't Make It Alright
■ Concrete Jungle
■ Too Hot
■ Monkey Man
■ (Dawning Of A) New Era
■ Blank Expression
■ Stupid Marriage
■ Too Much Too Young
■ Little Bitch
■ You're Wondering Now
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何でもいいが自分の好きな海外のバンドを思い浮かべて欲しい。そのバンドのメンバーはおそらく一人残らず白人ではないですか? ロックというのはもともとサバけたユース・カルチャー、サブ・カルチャーに属する音楽のはずだが、その担い手は基本的に白人であった。少なくともポピュラー音楽の分野においては、もちろん例外はあるものの、ロックは白人、黒人はソウルという人種の壁というか棲み分けが長い間厳然として存在していた。
スペシャルズは黒人と白人の混成バンドである。彼らの音楽は、スカと呼ばれる後ノリのビートを基盤としているが、この音楽形式はジャマイカを発祥とし、のちにレゲエに発展して行くもの。中米で数少ない英語国であるジャマイカからは多くの移民がロンドンに流入しており、彼らと地元のプア・ホワイトとは近い関係にあった。彼らが黒人と白人の混成で、パンクからも強い影響を受けながらスカを演奏するようになったのは自然だった。
リーダーであるジェリー・ダマーズが設立したレコード・レーベルの名前はツートーン。黒と白の市松模様がトレードマークだ。しかし、このアルバムを取り上げたのはそうした背景のためだけではない。それは何よりもこのアルバムが繰り返し聴くに足る完成度の高いモダン・スカの代表作であり、そこに音楽が聴くものの感情をヒットする瞬間が鮮やかにパッケージされているからだ。ポップであることが武器になることを示した傑作だ。
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NEVER MIND THE BOLLOCKS
Sex Pistols
Virgin
1977
■ Holidays In The Sun
■ Bodies
■ No Feelings
■ Liar
■ God Save The Queen
■ Problems
■ Seventeen
■ Anarchy In The U.K.
■ Submission
■ Pretty Vacant
■ New York
■ E.M.I.
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パンクというのは音楽のジャンルではないと思っている。それは大方の人がパンクと言えばまず思い浮かべるセックス・ピストルズが残した唯一のアルバムを聴いてみればよく分かる。ここにあるのは驚くほどノーマルでよくまとまったビート・ポップのアルバムだ。もちろんジョン・ライドンのボーカルには強烈なクセがあり聴く人を選ぶが、少なくともこの作品だけからはなぜこのバンドが世界中に衝撃を与えたかを理解するのは難しい。
それにも関わらず彼らが今もなおパンクの代名詞として知られ続けているのはなぜか。それは、本来は自分の心の中の何か過剰なものや欠けたものをビートする音楽のはずだったロックが、いつの間にか特殊な教育を受けたり高度な技術を修得したりしなければ演奏することのできない「芸能」に「発展」してしまったことに対して彼らがはっきりとノーを突きつけ、今そこにある感情と単純なギターの鳴りとの直接の関係を回復したからだ。
もちろん、後になってそれはあまりにナイーヴな物語であったことが明らかになった。産業ロック、オールド・ロックを否定して現れた彼らもまた大人たちの傀儡であったことは今では誰もが知る事実だが、しかしそれでも彼らは、心の中に過剰や欠損を抱え、自分の感情とシンプルなギターのストロークの関連性を信じる未熟で若いアナーキスト達に大きな示唆を残した。ロックが今も生きているとするなら、それは彼らのおかげだと思う。
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