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伊藤銀次 自伝 MY LIFE, POP LIFE

伊藤銀次・著
2018.4.19
シンコーミュージック・エンタテイメント

伊藤銀次初めての「自伝」である。1950年に生まれてから、最新作「MAGIC TIME」、さらには2017年11月にリリースされたボックス・セット「POP FILE 1972-2017」まで、生い立ちからデビュー、音楽活動の遍歴までが丁寧に語られている。

文体からはおそらく銀次が自ら原稿を執筆したという訳ではなく、語りをテキストに起こしたものだろうと思われるが、内容的には本人にしか語り得ない来し方に対する感慨がしっかりと刻みこまれていて読み応えがある。

大阪から上京し、大瀧詠一に師事して音楽業界に入った伊藤銀次のだいたいのヒストリーは、これまでもいろいろなエピソードが披露されていて既知の部分も多いが、改めて子供の頃から順を追って今日までを振り返ると、「そういうことだったのか」と腑に落ちる部分も多く価値のあるバイオグラフィである。

この自伝を読んで改めて思うのは、伊藤銀次は決してあふれ出るような音楽的才能に恵まれた天才という訳ではないが、批評家、編集者としての極めて高い能力、センスを持ち、状況を的確に把握して最適解を出力することのできる優秀な実務家であるということだ。

だからこそ音楽界、芸能界で半世紀近くもさまざまな仕事を残してきたのだし、そういう意味では銀次はアーティストというよりは作曲家、アレンジャー、プロデューサーとして重宝されてきた一種の音楽職人である。さまざまな人と巡り合いながらニーズに答え時代に呼応した作品を残してきた銀次の歴史は、日本のポップ・ミュージックの歩みそのものであり、この「自伝」はその意味でも示唆的だ。

だが、僕がこの本を読んで何より興味深かったのは何と言っても佐野元春との出会いから、木崎賢治のプロデュースでアルバム「BABY BLUE」をリリース、ソロ・アーティストとして「再デビュー」するエピソードと、その後のソロ・アーティストとしての伊藤銀次の活動の部分である。

僕にとっての伊藤銀次は、音楽職人としての業績以前に、まず何枚もの優れたアルバムを発表したソロ・アーティストであり、とりわけ彼の書くクセのない起伏の美しいメロディと、細い声の優しいボーカルこそが長く彼の音楽を聴き続けた理由に他ならない。1982年の「BABY BLUE」から1990年の「山羊座の魂」まで、今思えばわずか10年足らずのソロ・アーティストとしての活動こそ、僕が最も愛する伊藤銀次だ。

しかし、この本では、アルバム「LOVE PARADE」までを含めてもPart8の途中からPart9まで、わずか40ページ弱に押しこめられてしまっている。特に東芝EMIでの最後のアルバムとなった「山羊座の魂」以後、事務所に関係したトラブルが伝えられ、業界から干された状態になっていると言われていた90年から92年ころの経緯はごく簡単に触れられるだけだ。内幕の暴露を望む訳ではないが、当時情報がなく、やきもきしながらいつになるとも分からない復活を待っていた時期の説明としては物足りなかった。まあ、銀次としてもあまり触れたくない事情なのは理解するが。

それから、こうやって見ると、やはり銀次はアーティスト・エゴをストレートに出すよりも、木崎賢治のプロデュースの下で制作したアルバムのように、一定の枠の中で戦略的に方向性を明確に設定した方が、結果としてまとまりのよい作品を作るのだということを改めて感じる。僕の好きな銀次のソロ作品は、音楽職人としての銀次が、アーティストとしての銀次をうまくプロデュースできたときに作られたものなのかもしれないという思いを新たにした。

基本的にクレバーな、ひらめきよりは論理の人なのだが、そういう人が時としてハッとするほど美しい曲を作るところが天の配剤であり、伊藤銀次の魅力である。そういう銀次の魅力がよく分かる自伝だ。売ってるうちに買っとけ。



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