logo 伊藤銀次 / at 町田・clove / 2007.2.18


とても満足できるライブだった。但し、とても限定された意味で。

僕は初めから「我が懐かしの伊藤銀次」を見に行ったのだし、銀次もそういう人たちに向けて語りかけ、歌っていたと思う。僕も含めオーディエンスの大半は中学生か高校生の頃に「BABY BLUE」や「Sugar Boy Blues」を聴いていた人たちだろうし、そういう人たちにとっては、アルバム「BABY BLUE」からの曲を中心にしたこの日のライブはまさに聴きたかったものだろう。「満足できる」というのはそういう意味だ。

もしこれが銀次を知らない若いリスナーに切りこんで行くためのライブだったとしたらおそらく僕は合格点をつけられないだろう。スリーピースというシンプルな編成であったことも手伝ってか銀次のギターにはアラが目立ったし、歌詞が飛んでしまう場面もあり、久しぶりのワンマンで力が入りすぎた点を割り引くとしても、プロとして勝負のできるパフォーマンスとは言い難かったと思う。

だから、このライブを楽しむことができるかどうかは、結局自分が銀次という存在を初めから受け入れているかどうかにかかっていた訳で、初めから批評的な言説の入りこむ余地は極めて小さいライブだった。僕はそういうライブを一概に否定するつもりはない。否定するのならわざわざ日曜日の夕方に小田急線に乗って町田まで出かけたりはしない。僕だってそれを楽しみに行ったのだし、最初から最後までずっとニコニコしながら歌って(正確には声を出さずに口を動かして)いたのだから。

だが、僕がこのライブを残念に思うとすれば、銀次の書く歌にはただの同窓会を超えた普遍的なモメントがあることだ。特にこの日演奏されたアルバム「BABY BLUE」からの曲には、時代を超えた美しいメロディの強い通用力がある。どのようにアレンジを変えても聴く人の心の柔らかい部分にフックする驚くほどの喚起力がある。そしてスリーピースの潔い演奏にはそのメロディの核を直接伝える非常に原初的な音楽の力、ビートの力の可能性を感じたし、また銀次のボーカルも美しいハイトーンで曲の微妙なニュアンスを繊細に表現できていた。

だからこそ、この日のライブを内輪の同窓会に終わらせるのはまったくもったいないと僕は感じたのだ。この曲、このボーカル、この演奏には、銀次の才能を00年代の現在にたたきつけるだけの力が十分にあるし、新しいリスナーに対しても勝負できるものを銀次はずっと作り続けてきたはずなのだ。

銀次はこの後、大阪、京都、名古屋でもライブを行い、その後もう一度東京で演奏するらしい。また、ポリスター時代の旧譜が夏頃にはソニーから再発されるとのアナウンスもあった。銀次の書く曲は普遍的なもの、だれにも開かれたものである。僕はこの銀次のライブが同窓会に終わらない緊張感のあるものに成長することを願うし、それは十分可能なのだということを確認できたライブでもあったと思う。



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